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2012/01/21

内田樹「増補版 街場の中国論」 4

当初の予定以上に長くなってしまいましたが、これで最後です。前回の投稿につづいて内田樹「増補版 街場の中国論」 の第四回。後半部は前半部ほど充実していないので軽く流します。

例によって一部引用と要約、自分の感想とが混ざっていますのでご注意を。(完全な引用は文字を緑色にしてあります)。

内田樹「増補版 街場の中国論」
内田樹「増補版 街場の中国論

「Ⅱ 街場の中国論 講義篇」

第6講 東西の文化交流 ーファンタジーがもたらしたもの

大航海時代以後のキリスト教の中国、そして日本での布教活動などを中心に、西洋と東洋の交流についてです。16世紀後半から17世紀前半にかけてのアジアは風通しがよく、フレキシビリティに富んでいたため、キリスト教もすごいスピードで浸透し、そのために徳川幕府も清朝も、警戒感を強め、鎖国海禁政策を採らざるをえなかった、という流れで話はすすんでいきます。

第7講 中国の環境問題 ーこのままなら破局?

中国政府が環境政策に「無視」を決め込んでいるのは、それだけ問題が深刻であると解釈しています。

環境問題は本質的には文明の問題であり、同時につねに人口の問題です。

第8講 台湾 ー重要な外交カードなのに・・・

僕たちが中国の外交政策を読む時にうまくゆかないのは、「懸案の問題を解決しないまましばらく放置しておき、落ち着きどころを見る」という中国人の悠然とした構えと、とにかく「正しいソリューション」を性急に確定しようとする日本人の間の時間意識のずれが大きく関与しているからではないかと思います。

僕たちがもう少し配慮しなければいけないのは、「どっちつかず」がリスク・ヘッジの一つのかたちだということです。「白黒をはっきりさせない」ことから「白黒をはっきりさせる」ことよりも多くの外交的ベネフィットが得られるなら、そのほうが外交政策として上等であるということです。でも、この平明な事実を認める知識人は日本にはほとんどいない。

対中国強硬論者というのがいますけれど、彼らに共通する特徴がわかりますか。全員「早口」ということなんです。石原慎太郎なんかその典型ですけれど、込み入った話というのを生理的に受け付けられない人たちが「日本人にとってベストなオプションはこれである。中国人はこれに同意しない。だから、中国人は間違っている」という信じられないほど非論理的な推論を平然と口にする。視聴者はそれを「へえ、そうなんだ」とぼんやり聴いている。

第9講 中国の愛国教育 ーやっぱり記憶にない

日中間の外交と悪名高き中国の「反日教育」についてです。「反日教育」というのは実は意外と歴史が浅くて1990年代の江沢民時代からです。

今でこそ日中両国の関係はあまりよくないので、昔からそういうもんだと思ってしまいがちですが、宮崎市定の昔のエッセイなどを読んでいると「今(日本では)は中国ブームで」というような記述がたびたびでてきますし、年配の人で定年後に中国語を学ぶために留学している人などは中国好きが多かったです。

個人的な印象を言わせてもらうと、江沢民という人は歴代中国トップの中では後世からの政治的評価がかなり低い人ではないでしょうか。(中略)1998年に日本に来た時は、当時の小渕首相相手に歴史問題での公式謝罪を執拗に要求して、たいへんな不評を買いました。(中略)日本に来た外国元首であれだけポピュラリティを失った人というのは珍しい。来日したせいで、かえって日中関係を悪化させて帰ったという稀有な政治家です。

この記述には笑ってしまいました。確かに当時の江沢民の来日の時の振る舞いは、大人気なかったですね。江沢民は中国人からもあまり人気の高い政治家ではなかったと思います。逆に当時の総理だった朱鎔基は尊敬されていて人気がありました。

第10講 留日学生に見る愛国ナショナリズム ー人類館問題をめぐって

人間は高みから世界を一望俯瞰していると思い込んでいるときに、もっとも深く自分自身の分泌する幻想のうちにとらえられる。

講義を終えて(あとがき)

「日中の世界像の<ずれ>を中心的な論件にした中国論が読みたい」と切実に思っていたのですが、残念ながら注文通りの本が見あたらず、しかたないので大学院の「比較文化」の演習で一年間そのことばかり話していたのでした。

以上です。大胆な仮説や想像もあり、反発したり、受け入れがたいと思う人もいるかもしれませんが、中国現代史を俯瞰して中国独自の世界観を考慮にいれながら、中国の今をわかりやすく解きほぐそうという試みの本はなかなかありませんし、なによりめっぽう面白いので、興味があったらぜひ本編をご一読ください。

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