2012/02/05

ブサメン三国志

今日は久しぶりにドラマ「三国志 Three Kingdoms」の話題です。

公式サイトを見ると「BSフジで2012年4月から全話放送決定」したみたいです。

私はBSを見られないので関係ありませんが、見られる人はこれを機会に見てみるのもいいかもしれませんね。

今度は孔明の南蛮征伐あたりを借りようと思っていたのですが、なんとこのドラマでは南蛮征伐のエピソードはまるまるカット。

確かにこのエピソードは三国志演義の創作部分が多く、正史の三国志との乖離が非常に大きい上に、劉備の死と孔明の北伐の間を埋めるようなストーリー上の伏線も南蛮征伐の最中にはほとんどなくて、三国志におけるパラレルワールドのようになっているので、まるまる削っても全体のストーリーにほとんど差し障りがありません。

内容も冗長で、それまで高いレベルで保っていたテンションが一気に緩んで中だるみの感がありますし、キャラクターでいうと蜀の劉備、関羽、張飛あたりの主役級がすでにこの世の人ではなく、魏や呉の人物とのからみもほとんどありませんので盛り上がらないこと甚だしくて、おそらくあまり人気もないでしょうから、ここをあえて描かないというプロデューサー?の判断はわからないでもありません。

しかし、だからこそ自由に創作できる余地が大きいともいえるわけで、ディティールにこだわるこのドラマで孔明と猛獲の知恵比べがどのように描かれるのかに興味がありましたし、異国情緒ただよう南蛮の風俗や、女傑の祝融夫人、南蛮一の知恵者朶思大王などをぜひ映像で見てみたかったので残念です。セットがそれまでのものと全く違うものになってしまうので、ひょっとしたら予算の都合でカットされたのかもしれません。

そういうわけで今回はかわりに龐統が仕官するエピソードをメインにすえた第58話「諸葛亮、喪に服す」と曹操の息子たちとその周囲の後継者争いの予兆を感じさせる第59話「銅雀台に詩を戦わす」という地味な2話が入ったDVDを一枚借りました。

どうしてよりによってこんな全体のストーリー上たいして重要でないエピソードを借りたのかというと、龐統士元が仕官するエピソードというのは私が好きな話で、幸いこのドラマでこの話は省かれずにきちんと入っていたので、これはぜひ見てみたいと思った次第。

三国志の登場人物で「だれが一番イケメンか?」という議論ですと、それは周瑜であったり、荀彧であったり、その他様々な意見がでて紛糾することが予想されますが、話が一転「一番ブサイクはだれか?」になるとこれはもう龐統でほぼ異論はでないことでしょう。

しかもこの人、物語的には諸葛亮孔明の「伏龍」に対して、「鳳雛」というアダ名で孔明と並び称され「どちらか片方でも得られたら、天下を得ることはたやすい」といわれるほどの知将という扱いなんですよね(実際のところはどうあれ)。このギャップがたまりません。

ブサメンナンバー1

現代でもその傾向はなきにしもあらずかもしれませんが、当時の中国では特に「容姿もその人の実力をはかる重要な要素の一つ」とされていました。官吏推薦の条件には容姿の項目もあったぐらいです。にもかかわらず彼は士官前から、その才能のみによって周囲から高い評価を得ていたのですから、すごいではありませんか。

それでは第58話「諸葛亮、喪に服す」を見ていきましょう。

物語は周瑜のお葬式から始まります。皆が周瑜の死を嘆き悲しんでいるところに、その原因を作った諸葛亮孔明先生、ぬけぬけと登場して、弔辞を読んで、大泣き。この三文芝居に魯粛も「この面の皮の厚さ、さすがだ」と感心するやらあきれるやら。

孔明「周瑜、どうしてこんなに早く死んでしまったんだ!」ってお前が(略

 そんなお葬式のまっただなかに孔明に続いて今度は今回の主役、龐統先生が酔っぱらいながら乱入、「周瑜なんて度量が小さくて、戦争でも負けてばかり、赤壁でも奴はなにもしていなかった」と当たっている部分もなきにしもあらずですが、死者に鞭打つようなあんまりな暴言をはきまくったので、当然のようにつまみだされます。

一応、後でこれは龐統が孫権の度量を試すためにやった、ということになっていますが、たぶんこの人、自分も赤壁の戦いで重要な役割を果たしたのにたいして評価されていないのに不満でその腹いせもあったに違いないと私は勝手に邪推しています。

この葬式で周瑜を罵倒する振る舞いがあだとなって龐統は孫権の母に嫌われてしまいます(しかもこのことを孫権の母にチクったのは孔明のさしがね、という小ネタがなかなか孔明の腹黒さをうまく表現していてよかったです)。

龐統と以前から面識があった魯粛は彼を主君の孫権に推薦しようとしたのですが、孫権は母親から「このような人間を雇うな」と強く釘をさされていたために、龐統に会おうともしませんでした。こうして魯粛の試みは失敗におわります。

龐統は呉を去って劉備の元へ。ちょうどそのころ劉備は街で人材を募集していました。そこで龐統は「龍広」という偽名で応募。

試験を受けた龐統は論文試験にトップで通り、劉備の前に姿をあらわしますが、劉備もまさか風采上がらぬこの男があの高名な龐統士元大先生とはつゆしらず、龍広と称する男のあまりに貧相な容貌に失望を隠せず、申し訳程度に県令の役職を与え地方へ飛ばしてしまいます。

もちろん地方の閑職ごときに普段から「自分を安売りする気はない」と公言する性格の悪い龐統が本気を出すはずもなく、やがて劉備のもとに「龍広がろくに仕事もせずに酒ばかり飲んでいる」という報告があがり、怒った劉備は張飛と孫乾を派遣します。


役人の格好ができてゴキゲンの張飛

張飛が現地に着いて「県令はどこにいる?」と役人に聞くと、「二日酔いでまだ寝ています」という返事。ブチギレた張飛が龐統を呼んで問いただすと龐統は「県令の100日分ぐらいの仕事、半日あれば充分。今からすぐにかたづけてやりまさぁ」と大言壮語。

で、やらせてみると本当に半日で処理しちゃうんですね、これが。これには張飛もびっくり。態度を改め、頭を下げて自分が先生の偉大さをしっかり伝えるから、ぜひ劉備に会って欲しいと頼みます。

劉備は張飛からの報告を聞いてようやく自分のミスに気づいて愕然となり、とるものもとりあえず龐統の元まで自ら赴き平身低頭でひたすら謝りますが、一筋縄ではいかない龐統先生、すねてしまって劉備がいくらお願いしても、「もうここでは働かない」と去ってしまおうとします。

いろいろ引きとめようとする劉備と首をたてに振らない龐統、すったもんだのすえ、張飛が「うちにこないのなら、この才能、よそで用いられるとやっかいだから殺してしまおう」と劉備に耳打ちしますが、劉備は「龍広先生のような才能のある方が私より徳のある人に仕えて、それで世の中がよりよくなって民が救われるのであれば、それでいいではないか」と潔くあきらめようとします。その様子を耳をダンボにしてチラ聞きしていた龐統先生、さすがにこれには感じるところがあったようで、ようやく劉備に仕えることを決心するのです。

この時点で劉備たちはまだ龐統のことを「龍広」という人物だと思っています。

その後、劉備が「龍広」を孔明に紹介すると、孔明はもともと彼と面識がありましたので、ここにおいて劉備はようやく彼が「龍広」などではなくてかの有名な鳳雛先生、龐統士元であると知ります。

「あの有名な鳳雛先生!?」この時の劉備(一番右)の驚きようといったら。

劉備は「伏龍と鳳雛、両方が配下となった。これで漢王室の中興も夢ではない」と大喜びで、めでたしめでたしとなりました。

 ここではかなり端折って紹介しましたが、龐統が(見かけによらず実は)賢者だと知ってからの劉備の龐統に対する敬意の払い方は、三顧の礼を尽くした孔明に対するそれにまさるともおとらないもので、その誠実な劉備の態度に頑なだった龐統も徐々に心を溶かしていくという、そこらへんの機微の描き方であるとか、真面目キャラが多い三国志世界で珍しい張飛と龐統という不真面目キャラ同士のユーモラスな共演など、地味ながらいい具合にしあがっていて、なかなか楽しめました。

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