2012/01/31

日本サッカーミュージアムへバロンドールトロフィーの鑑賞に行ってきた

この目で澤穂希が獲得したバロンドールトロフィーを見てみたい!

というわけで先日、御茶ノ水の2002 FIFAワールドカップ記念 日本サッカーミュージアム http://www.11plus.jp/ へ行って参りました。

御茶ノ水駅から徒歩5分程度の「サッカー通り」というさびれた通りぞいにあります。

トロフィーの展示が今月いっぱいとのことでしたので、日曜日はすごい混雑だろうと覚悟していたのですが、意外にもミュージアムへ至るサッカー通りは人通りがまばらで、ミュージアムの中も驚くほど空いていて鑑賞しほうだい、写真取りたい放題でした。


入り口を入ってすぐに今は亡き横浜フリューゲルスのマスコット(とび丸君)がお出迎え。
懐かしい。



チケットは日本が参加した歴代ワールドカップチケットのレプリカです。
これはフランス大会の日本対アルゼンチン戦のチケットレプリカ


ミュージアムの名称通り、2002年の日韓ワールドカップを記念してつくられたために展示物の大部分は2002年のもので、バーチャルスタジアムと称した巨大なスクリーンによる特別映像も全て2002年ワールドカップをふりかえる内容でしたので、鑑賞しているとここだけ時間の流れが止まっているかのような錯覚すらしました(これが不人気の一因かと)。

2002年メンバーのサイン。トルシエのサインが光ります。


そのかわりといってはなんですが、2002年の展示物の充実度はすばらしかったです。

なんと2002年大会決勝のドイツ対ブラジルの試合で使われた競技場の「芝」!「芝」です!この発想はありませんでした!あの時の興奮がよみがえります!


今も語り継がれる宮本恒靖選手のフェイスガード。あれを初めて見た時の衝撃と言ったら


2002年ワールドカップといえば、これでしょう。
小泉首相が壮行試合でキックオフの時に履いていたあのシューズ!
小泉純一郎ファンなら感涙モノです。


などなどファンにとってすらどうでもいい一品が目白押しで目が離せません。

もちろん、去年ワールドカップで優勝したなでしこジャパン関係の展示物や、映像コーナーもありました。そして、それらと比べればささやかではあるものの、2010年のワールドカップ南アフリカ大会の展示品も。


なでしこジャパンの短冊。丸山選手の字がいい味だしています

しかし、2006年のドイツ大会関係の展示物はまるでその年にはなにもなかったかのようになにもありませんでした。

ドイツ大会はなかったことにしたいという日本サッカー協会の強い意志を感じた、といったら穿ち過ぎでしょうか?




もちろんおめあてのバロンドールトロフィーもありました。
いやー、まさかこれが日本で拝めるなんて。これがどれだけ偉大なことか、大部分の国民はわかっていなさすぎだと思います(笑)。

左から
2011FIFA年間優秀賞の女子選手賞(澤穂希選手)、フェアプレー賞、女子監督賞(佐々木則夫なでしこジャパン監督)です。

トロフィーは思ったより小さかったです。

それ以外にも狭い回廊の左右の壁におっさんの顔面がずらりと並んで異様な雰囲気をかもしだしている日本サッカー協会殿堂や、なでしこジャパンの国民栄誉賞に総理大臣杯からユーキャン新語・流行語大賞まで無節操にならぶトロフィー陳列コーナーなど見どころたっぷりで非常に充実していました。

ぼくらのキャプテン川淵三郎

2011年 ユーキャン新語・流行語大賞「なでしこジャパン」

展示品の大部分が時代が2002年から時間が止まっているような感じなのが多少難ですが、それを差し引いても、サッカーの日本代表を長年応援している人なら絶対楽しめるオススメスポットでした。

2012/01/28

Macを大掃除

今日はMacBookAirのSSDの中身を大掃除していました。

その際に役に立ったサイトがここ

サイト名 : なまら春友流
「MacBookAirをダイエット!SSD使用量を30G減らすために行った7つのこと」
http://harutomo-ryu.com/archives/2011-08-12/065224.html

同種のサイトは他にもあったのですが、ここがシンプルでわかりやすかったです。
なによりありがたかったのが、iPhotoとiTunesのライブラリを外付けHDDに移す方法がわかったことです。

結構昔からこれができたらパソコンのデータ移行が楽になっていいのになあと思っていたのですが、やりかたがわからなかったんです。まさかoptionキーを押しながらアプリケーションを立ち上げることによってライブラリの場所が指定できるなんて。

データの大部分をクラウドか外付けHDDにおいてあったので、主に写真と音楽ファイルがMac本体のSSDを占有していたのですが、これで今後、Macを買い換えることになってもデータの移動がスムーズにいきそうです。

2012/01/27

溝口敦「暴力団」

溝口敦「暴力団」を読みました。

溝口敦「暴力団 (新潮新書)」


この世界はあまりよく知らなかったのですが、本書は分量もそれほど多くなくて読者がほとんど知識がないことを前提に書いてくれているので、わかりやすくて良かったです。

この手の裏社会の話は、ネットだと情報量が多すぎて逆に探しにくいし、情報の信頼性を確認するのも難しいので、こういう時はやっぱり本だと思います。

暴力団の定義や収入を得る方法、どのような経緯で暴力団に入るのか、警察と暴力団のある種なあなあな関係、など暴力団に関して知りたくなるようなことはだいたいカバーしています。

海外マフィアにも一章さかれていました。日本の暴力団と海外の犯罪組織の最大の違いはその公然性であるという指摘にはなるほどと思いました。

このブログらしく、チャイナ系マフィアを紹介しておきます。

香港
組織犯罪集団の総称を「三合会(トライアド)」(メンバー二十万人強)

(主な組織)
十四K、新義安(潮州系)、和勝和、和勝義、義群、敬義、和合桃
10系列、五十六組織、

大陸、台湾
組織犯罪集団の総称を「」(大陸や台湾での呼び名)

(主な組織)
竹聯幇、四海幇、芳明館、天道盟、牛埔幇、松聯

暴力的なえげつなさでいうと、台湾の流氓がナンバーワンみたいです。

チャイニーズマフィアといえば、昔読んだ馳星周の小説「不夜城」は新宿歌舞伎町の中国マフィア同士(北京系、上海系、台湾系などいりみだれて)の抗争が描かれていて面白かったです。オススメ。



話を日本の暴力団の現状に戻すと、バブル崩壊以後、不景気の影響を受けて収入が減り、暴力団にだけ適用される法律によって締め付けが厳しくなるなど、暴力団に所属するメリットは減る一方のため、若者が入ってこなくなり高齢化が進んでいるということで、日本独自の「暴力団」という形態での組織は、早晩消えゆく運命なのでしょう。

もちろんそれで単純に犯罪が減ったり治安が良くなったりすると楽観はできません。結果的に彼らが地下に潜るだけになりかねず、かえって社会が不安定にならないか心配ではあります(そして本書では暴力団に所属しない組織的な犯罪集団を「半グレ集団」として、これも一章さいて紹介しています)。

というわけで、薄いながら一通りのことは書いてあるので、興味を持たれたら本書を読んでみるといいのではないでしょうか。

2012/01/26

東京国立博物館特別展「北京故宮博物院200選」

上野の東京国立博物館の特別展「北京故宮博物院200選」へ行ってきました。


目玉展示である「清明上河図」は展示が1/24まででしたので、実物は見られませんでしたが(複製は見られます)、非常に満足度が高かったです。

北京の故宮博物館には過去2回行ったことがあったのですが、それも10年以上前の話でしたので、せっかく日本に来たんだし、どうせほとんど覚えていないだろうから見に行ってみようかというわりと軽い気持ちだったのですが、

1,当たり前だがすべて日本語で解説してくれるのでその作品の背景までよくわかり、勉強になった。

2,音声ガイド(500円)の音声が松平定知(「その時 歴史が動いた」の人)で、これが名演で、頭に入ってきやすくてよかった。借りる価値あり。

3,200選と数を絞ってくれているおかげで、鑑賞する集中力が維持できた。

と期待以上に行ったかいがありました。

行った人ならわかると思うんですが、故宮博物館って紫禁城の中にあって、展示場がアホほど広い上に、馬鹿みたいに展示物が多くて(それこそ200なんてもんではない)とにかく全部見るのが大変なんですよ。正直、回っているだけで疲れはててしまう。そういう意味では、専門家でなければ、現地で見るより今回の方が充実した鑑賞ができると思います。

平日の開館直後に行ったわりには、それでもそこそこ混んでいたので、土日なら開館前か、閉館間際(実はこの時間帯が人気の美術館などを見に行く時の穴場)に行ったほうがいいと思います。

展示は二部構成で、第一部が宋代〜清代の書画や陶磁器、第二部が清朝宮廷文化というテーマ展示になっています。

西洋や他の地域の美術と違って、中国の場合、芸術・文化・思想・哲学・政治・経済のすべての分野を士大夫層(知識人であり、高級官僚でもある)が一手にひきうけているので、歴史的に重要な人物の名前がでてきたりして、中国美術をあまり知らなくても、歴史に興味があったら結構楽しめるのもいいところです。

朱子学の朱熹や詩人の黄庭堅、清の乾隆帝の書、宋の徽宗皇帝の絵など別の分野での有名人の作品を見ることができました。

その他にも

商や周など、とんでもなく古い時代の青銅器のつくりや模様の精緻さから、当時の技術や芸術の水準に驚いたりとか。

宋代までの絵は写実主義全盛だったのが、元代以降、徐々に自分の心に感じたものを抽象的に表現する文人画が流行してくる、といった美術史的な流れは西洋の印象派の隆盛を思わせられたりとか。

陶磁器の分野では、宋代までシンプルな模様で薄い緑がかった色の磁器が多かったのが、元代以後青い色が使われ始め、様々な模様がつくようになったのは、元が西アジアを征服してそこで手に入れたコバルトと、それを陶磁器に利用する現地の技術者達を得て彼らからコバルトを陶磁器に使う技術を手に入れたからであるとか。

清代の皇帝はチベット仏教の信者であった、とか(なんと乾隆帝自身の曼荼羅までありました)。

美術史にとどまらない範囲で、自分が今まで知らなかったことがたくさんあって、美術品そのものだけでなく、展示品に添えられている説明文のおかげで、とても勉強になりました(これが日本の美術館や博物館で外国のものを見る最大のメリット)。

もし、この特別展に少しでも興味があったり、いこうかどうか迷っている方がいたら、特別展の終了は2/19とまだ期間はありますので、行ったほうがいいと思います(混雑は覚悟の上で、たぶん終了間際だとえらいことになるでしょうから少しでも早めに)

最後に関連ウェブサイトの紹介を。
私は行く前にほとんど見なかったのですが、今チェックしてみるとなかなか充実していて、これを見ているだけで結構おもしろいので、行く前に見ておくといいと思います。

東京国立博物館公式サイトの 特別展「北京故宮博物院200選」の紹介ページ
(このページは特に目を通しておいたほうがいいです)

「北京故宮博物院200選」公式ページ

1089ブログ(北京故宮博物院200選に関する東京国立博物館公式ブログ記事。展示のみどころが紹介されていています。良記事が多くオススメ)
http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/16







2012/01/25

日本恐るべし

週刊 ダイヤモンド 2012年 1/21号 [雑誌]

今週の週刊ダイヤモンドが中国特集だったので、軽くチェックしていたら、中国の陸上兵力の項目で、瞠目すべきデータを発見しました。



----(引用)-----

160万人
中国人民解放軍の陸上兵力は160万人。これは日本の陸上自衛隊14万人の10倍超。

日本のひきこもり人口と同水準

----(引用終わり)-----


最後の日本のひきこもり人口との比較、これいるのか?

中国の陸上兵力の充実よりも、むしろ日本のひきこもりの多さに戦慄を覚えました。
ひきこもり大国日本。

2012/01/21

内田樹「増補版 街場の中国論」 4

当初の予定以上に長くなってしまいましたが、これで最後です。前回の投稿につづいて内田樹「増補版 街場の中国論」 の第四回。後半部は前半部ほど充実していないので軽く流します。

例によって一部引用と要約、自分の感想とが混ざっていますのでご注意を。(完全な引用は文字を緑色にしてあります)。

内田樹「増補版 街場の中国論」
内田樹「増補版 街場の中国論

「Ⅱ 街場の中国論 講義篇」

第6講 東西の文化交流 ーファンタジーがもたらしたもの

大航海時代以後のキリスト教の中国、そして日本での布教活動などを中心に、西洋と東洋の交流についてです。16世紀後半から17世紀前半にかけてのアジアは風通しがよく、フレキシビリティに富んでいたため、キリスト教もすごいスピードで浸透し、そのために徳川幕府も清朝も、警戒感を強め、鎖国海禁政策を採らざるをえなかった、という流れで話はすすんでいきます。

第7講 中国の環境問題 ーこのままなら破局?

中国政府が環境政策に「無視」を決め込んでいるのは、それだけ問題が深刻であると解釈しています。

環境問題は本質的には文明の問題であり、同時につねに人口の問題です。

第8講 台湾 ー重要な外交カードなのに・・・

僕たちが中国の外交政策を読む時にうまくゆかないのは、「懸案の問題を解決しないまましばらく放置しておき、落ち着きどころを見る」という中国人の悠然とした構えと、とにかく「正しいソリューション」を性急に確定しようとする日本人の間の時間意識のずれが大きく関与しているからではないかと思います。

僕たちがもう少し配慮しなければいけないのは、「どっちつかず」がリスク・ヘッジの一つのかたちだということです。「白黒をはっきりさせない」ことから「白黒をはっきりさせる」ことよりも多くの外交的ベネフィットが得られるなら、そのほうが外交政策として上等であるということです。でも、この平明な事実を認める知識人は日本にはほとんどいない。

対中国強硬論者というのがいますけれど、彼らに共通する特徴がわかりますか。全員「早口」ということなんです。石原慎太郎なんかその典型ですけれど、込み入った話というのを生理的に受け付けられない人たちが「日本人にとってベストなオプションはこれである。中国人はこれに同意しない。だから、中国人は間違っている」という信じられないほど非論理的な推論を平然と口にする。視聴者はそれを「へえ、そうなんだ」とぼんやり聴いている。

第9講 中国の愛国教育 ーやっぱり記憶にない

日中間の外交と悪名高き中国の「反日教育」についてです。「反日教育」というのは実は意外と歴史が浅くて1990年代の江沢民時代からです。

今でこそ日中両国の関係はあまりよくないので、昔からそういうもんだと思ってしまいがちですが、宮崎市定の昔のエッセイなどを読んでいると「今(日本では)は中国ブームで」というような記述がたびたびでてきますし、年配の人で定年後に中国語を学ぶために留学している人などは中国好きが多かったです。

個人的な印象を言わせてもらうと、江沢民という人は歴代中国トップの中では後世からの政治的評価がかなり低い人ではないでしょうか。(中略)1998年に日本に来た時は、当時の小渕首相相手に歴史問題での公式謝罪を執拗に要求して、たいへんな不評を買いました。(中略)日本に来た外国元首であれだけポピュラリティを失った人というのは珍しい。来日したせいで、かえって日中関係を悪化させて帰ったという稀有な政治家です。

この記述には笑ってしまいました。確かに当時の江沢民の来日の時の振る舞いは、大人気なかったですね。江沢民は中国人からもあまり人気の高い政治家ではなかったと思います。逆に当時の総理だった朱鎔基は尊敬されていて人気がありました。

第10講 留日学生に見る愛国ナショナリズム ー人類館問題をめぐって

人間は高みから世界を一望俯瞰していると思い込んでいるときに、もっとも深く自分自身の分泌する幻想のうちにとらえられる。

講義を終えて(あとがき)

「日中の世界像の<ずれ>を中心的な論件にした中国論が読みたい」と切実に思っていたのですが、残念ながら注文通りの本が見あたらず、しかたないので大学院の「比較文化」の演習で一年間そのことばかり話していたのでした。

以上です。大胆な仮説や想像もあり、反発したり、受け入れがたいと思う人もいるかもしれませんが、中国現代史を俯瞰して中国独自の世界観を考慮にいれながら、中国の今をわかりやすく解きほぐそうという試みの本はなかなかありませんし、なによりめっぽう面白いので、興味があったらぜひ本編をご一読ください。

2012/01/20

内田樹「増補版 街場の中国論」 3


前回の投稿につづいて内田樹「増補版 街場の中国論」 の第三回です。

前回同様、一部引用と要約、自分の感想とが混ざっていますのでご注意を。

内田樹「増補版 街場の中国論」
内田樹「増補版 街場の中国論

「Ⅱ 街場の中国論 講義篇」

ここから、最初の2007年に出た本編がはじまります。

第1講 チャイナ・リスク ー 誰が十三億人を統治できるのか

この講義では中国を統治することの「リスクの高さ」が日本と比べていかに大きいのかについて考察されています。

1,双子のナショナリストたち

(中国で日本の大使館や領事館に石をなげられたり、日本人が襲撃されたりする話を聞くと、生き生きとして中国を罵倒するような類の人を例にあげて)

ナショナリストというのは「自国の国益が損なわれることを喜ぶ」倒錯した傾向があるということは、これまでも折にふれて指摘してきましたけれど、これは興味深いメンタリティだと思います。

こういう日本人と反日中国人は「同じタイプ」の人間ですが、メディアにでてくるのはいつもこの手の人達。

国境の両側で熱くなっているナショナリストたちがもたらす災厄を先送りし、最小化するためにできる最良のことは、メディアにはでてこない「もう少し冷静になって長期的で安定的な外交関係を構築することを考えたほうがいいんじゃないの」と考えている両国の人達による「大人のネット」を構築すること。

2,3つのチャイナリスク

1,中国経済の失速
2,中国の中産階級の動きが読めない
3,中国政府のガバナンスがどこまで持つかわからない

中国のことをかんがえるときは、彼我の抱え込んでいるリスクのスケールの差を勘定に入れる必要がある。

第2講 中国の脱亜入欧 ー どうしてホワイトハウスは首相の靖国参拝を止めないのか?

今となっては少し懐かしい小泉首相の靖国参拝の時に、アメリカの言うことなら何でも聞く小泉首相に対してどうしてアメリカは参拝を止めなかったのか?

ここで内田樹は、日本と中国が不仲になることこそがアメリカの国益だからだとしています。

1,中国人の日本人嫌いの理由が、二重の意味での「脱亜入欧」

まず、日本は明治維新で「脱亜」つまり中国や朝鮮を後進国として低く見て、破壊した。
そして、現在、今度は中国が「脱亜入欧」する側にまわり、「脱亜」とはつまり日本を競争相手とするのをやめることであり、「入欧」してじかに欧米と付き合える名実ともに「アジアの盟主」たらんとする野心を持っている。

2,農村の崩壊、それがチャイナリスクのナンバーワンではないか。

中国史ではだいたい同じようなサイクルで王朝交代が起きる。
農村が疲弊→農民が流民化→それが各地で反乱をおこして王朝が滅びる。

3,易姓革命のある中国と、政体が変わらない日本

中国では、ある王朝は天命によって統治されているので、天命がつきれば次の王に王位を譲らなければならない。易姓革命の結果として王朝交代した中華人民共和国は「天命」を受けた政体としてみなすことができる。

日本は幻想的には開闢以来ずっと同じ政体のまま。

日本が今の政体に正当性があると信じたければ、この政体を押しつけた「天」であるところのアメリカの世界戦略の歴史的正当性にも全幅の同意を示さねばならない。だから日本では国粋主義者が親米であるという倒錯が起きる。

アングロ・サクソンの植民地統治の基本は「分断」。

東アジア諸国の利害が対立して、調停が必要になるたびに「アメリカの介入」が要請されるという今のスタイルがアメリカにとってベストの東アジア支配形態。アメリカにとって、EUのように東アジアに「儒教圏」ができるのは困る。

第3講 中華思想 ー ナショナリズムではない自民族中心主義

ここでは中華思想についてです。ナショナリズムと違うという点が重要です。

国境線のあっちとこっちでは、言語も人種も信教も習俗も全てが違うというフィクション。このフィクションが国際規格に採用されたのは1648年のウエストファリア条約。

それに比べると中華思想は三千年の歴史がある。その中華思想をヨーロッパの民族誌的奇習である国民国家ナショナリズムの枠内に収めて考察しようとするところに無理がある。

中華思想は国境線という概念がそもそも無い。天下全てが中国を中心にひとつの調和した小宇宙。

鄧小平の「先富論」は「華夷秩序」の国内ヴァージョン?
「先に豊かになったところ」が中心、「あとから豊かになるところ」が周縁。

第4講 もしもアヘン戦争がなかったなら ー 日中の近代化比較

日本の明治維新後の成功は、明治政府の中央集権化によって、効率よく西洋にキャッチアップしたのが原因であるというのが一般的な説ですが、内田樹はこれとは逆に、江戸時代の幕藩体制という地方分権システムが、その後につながる人材の育成に効果的であったということと、それに反して中国では清朝の強力な中央集権体制が仇となって、その後のさんざんな近代史をむかえることになる、という説は、新鮮でおもしろかったです。

日本の近代化が成功した最大の理由は、藩閥体制で日本に二百七十個の藩があったこと、つまり、二百七十の小国が分立していたこと。これによってリスクヘッジシステムが成立していた。

逆に中国は強大な中央集権体制であった。

同心円的、中央集権的な「ツリー」状組織は「予測できる範囲の危機」(リスク)には効率的に対応できるが、「予測できない種類の危機」(デインジャー)には脆い。

離散的・分権的でゆるやかにつながっている「リゾーム」状組織は、ルーティン的処理では効率が悪いけれど、リスク・ヘッジという点ですぐれている。

十九世紀末の列強の進出してくる東アジアという特殊な状況では、日本的システムのほうが中国的システムより効率的に動いた。

日本は「和魂洋才」、中国は「中体西用」。一見似ているようで、実は違う。「中体西用」の中心はあくまで中国。「西洋の技術を用いれば、西洋の文明ではできないことが中国人にはできる」。

これでは外部評価と自己評価の間の悲劇的な乖離が修正できない。

第5講 文化大革命 ー 無責任な言説を思い出す

毛沢東といえば、中国では今のところ公式には「いいことを7割、悪いことを3割」したという評価になっています。

確かに国を救った英雄という側面を考えればわからないでもないのですが、大躍進政策と文化大革命という2つの大失策は、その悲惨さを知れば知るほど、とても3割ですむようなものではない国家的犯罪だと思うのですが、ここでは、それでも毛沢東を表立って批判しにくいその事情についてです。

この第5講で興味深かったのは、文化大革命そのもの以上に、当時の日本のマスコミや文化人、特にリベラル系メディアがおおむね文化大革命に好意的な論調だったというところです。

私の父も当時のことを振り返り、「新聞の説明を見て、文化を革命するのだから当然、素晴らしいことが中国でおこなわれているに違いないと思っていた」といっていました。

ネットがなかった時代とはいえ、そして冷戦時代の社会主義国の出来事だったとはいえ、戦後もなお、隣の国のそのような大きな出来事をわからないと伝えるならまだしも、主張したいイデオロギーに都合の良いようにしか報道できなかったメディアの怖さを再認識しました。

中国人のトラウマ

中国の場合、近代史百年を振り返って、「あのときはこれでうまくいった」という経験がほとんどない。

1980年代以降の改革開放路線の成功を除くと、1937年の抗日統一戦線の結成から1949年の中華人民共和国の建国を経て、朝鮮戦争に勝利する1955年までの期間、言い換えると毛沢東に率いられて、日本と戦い、国民党と戦い、アメリカと戦った時期。

毛沢東を抜きにした成功体験というものを中国近現代史は持っていないので、中国人はこれからも毛沢東をラディカルに批判できない。

中国人が一丸になったという点では、抗日統一戦線の結成の記憶に勝るものを中国人は持っていないので、国論の統一をめざすとき、そこに回帰するのはある意味では当然。


以上、今日は第5講まで紹介して終わります。つづきます。

2012/01/19

内田樹「増補版 街場の中国論」 2

前回の投稿のつづきです。

内田樹「増補版 街場の中国論」の紹介です。
紹介ですので、一部引用と要約、自分の感想とが混ざっていますのでご注意を。


本書は増補版での追加分「Ⅰ 街場の中国論」(全三章)から始まります。

Ⅰ 街場の中国論

第一章 尖閣列島問題・反日デモ・中華思想

この章はちょうど尖閣列島問題とそれに伴う反日デモがおきたころに書かれたもので、中国と日本との根本的な立場や考え方の違いについてです。

1,中国の為政者は外交上の失敗によって「トップの交代」にとどまらず、場合によると「政体の交代」の可能性に配慮しなければならない。日本政府はそのようなリスクを勘定に入れる必要がない。

日本人にもある種理解不能ですが、鳩山さんも菅さんも、民主党も今でも元気です。この「負けしろの多さ」こそ日本の国力なのだという主張です。

2,中国では「反政府」デモは制度的に禁圧されている。だから「反日」の看板を掲げて鬱積した「反政府」の怒りを暴発させている、という行動を国民がとっている側面がある。

これは加藤徹「貝と羊の中国人」でも指摘されていたことですね。「反日」が錦の御旗であり、隠れ蓑にもなっているのかもしれません。

3,中華思想は華夷秩序によって整序された宇宙観。華夷秩序には「国境線」という概念がない。周縁には王土なのか化外の地なのかよくわからない「グレーゾーン」が拡がっている。

近代における日中の確執は「主権の及ぶ範囲の確定を曖昧なままにしておきたい中国」と「主権の及ぶ範囲の確定を求める日本」の対立のうちに推移した。

中華思想については端的に「オレ様が一番」的な側面だけで語られることが多いので、領土の考え方など、もう少しつっこんだ理解が必要だと思いました。全ての土地に国境線が明確に決まっていて当たり前、なんていうのも西洋でできた歴史的にはわりと新しい概念であるのも忘れてはいけないと思いました。今、中国がアフリカや近隣アジア諸国に投資をしているのも、古来の冊封体制の流れをくんでいる、という見方もできなくはないですし。

第二章 中国が失いつつあるもの

ここでは中国政府の選択によって、失いつつある、あるいは失うであろうものについて、イベントや事件を通じて書かれています。

1,チベット問題によって中国は国際社会での威信を失いつつある。

2,北京オリンピックによって「貧しさとつきあう知恵」が失われ「富の収奪と偏在を正当化するイデオロギー」が瀰漫する。

3,グーグルの撤退によって情報テクノロジーの「進化」から切断される。

個人的には「「貧しさとつきあう知恵」が失われ」という部分が、もしこれが事実だとしたらとても悲しいなと思いました。10年ほど前に中国に住み、いろいろな地域を見て回り、「中国って貧富の差は激しいかもしれないけれど、貧しいはずの人達がなぜか明るくて、楽しく生きている国だな」という印象を持っていたので。

第三章 内向き日本で何か問題でも?

この章は「日本辺境論」にもつながる日本人の考え方の「癖」を「辺境マインド」とし、それに無自覚なまま失敗を繰り返す日本の選択のあり方と、安易な「外向き」指向の礼賛に警鐘を鳴らしています。

1,国の規模という量的ファクターを勘定に入れ忘れて国家を論じることの不適切さ。

中国の人口を考えれば「日本と同じように統治されていない」ことをあげつらうのはあまり意味がないことである。中国の統治制度を非とするなら、それに代わるどのような統治制度がありうるのか、せめてその代案について数分間考える程度の努力をしてからでも遅くはないのではないか。

あるいは例えばフィンランド。好調の重要な要素は「人口が少ない」ということであることを見落とすわけにはゆかない。

中国の情報統制や人権軽視、人口調整や戸籍の問題など、私も正直、今の中国に住みたいとはとても思えないのですが、それではこれらを全て撤廃して日本と同じレベルの自由さを実現した場合、果たして中国がうまく統治されうるのだろうか、本当に中国の人民の幸せにつながるのだろうか、という想像をしてみるに、現状よりひどい混乱がおこって、中国国内のみならず、周辺諸国も今以上に困ったことになっても不思議ではないと思います。一概に中国共産党の政策を「圧政」と断ずるだけではあまりにもそれは思考停止ではないでしょうか(それと中国共産党を是とするかはまた別の問題)。

2,「日本と比較してもしょうがない他国の成功事例」を「世界標準」として仰ぎ見、それにキャッチアップすることを絶えず「使命」として感じてしまうという「辺境人マインド」こそが徹底的に「日本的」なものであり、そのことへの無自覚こそがしばしば「日本の失敗」の原因となっているという事実を彼ら(外国の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因があるという人達)が組織的に見落としている点である。

この章に関しては私はつねづね内田樹の「内向き」指向に少し疑問というか違和感を感じているので全面同意というわけにはいきませんでしたが、それでもなんでもかんでもよそと比べないと自分の価値を判断できない日本の問題点に関してはそのとおりだと思いました。

というわけで、増補分はここまで。次からようやく最初の版の「街場の中国論」がはじまります。

きりがいいので、投稿も今日はここまで。次回につづきます。

参考書籍 内田樹「日本辺境論」
内田樹「日本辺境論 」(新潮新書)

内田樹「増補版 街場の中国論」

去年の個人的中国関連書籍のベストは加藤徹「貝と羊の中国人」で、当ブログにも二回にわたって記事をかいたのですが、



(投稿「貝と羊の中国人」)
http://china-junichiro.blogspot.com/2011/05/blog-post_15.html
http://china-junichiro.blogspot.com/2011/05/blog-post_16.html

今回紹介する内田樹「増補版 街場の中国論」もそれに劣らずすばらしい本でした。

最初は正直なところ内田先生、ちょっと本が売れまくっているからって中国の専門家でもないのにいったいどんなことを知ったように書くつもりか?という気分がないでもなかったのですが、とんでもない自分の勘違いでした。

単行本だったので買うのに躊躇して、図書館で予約して何ヶ月も待って読んだのを少し後悔しました。出た時にさっさと買って読んでおけよかった。

こういう本は文庫か新書でだしてくれと声を大にして言いたいです(ベストは電子書籍なのですが)。

その前に一つ。常々このサイトにリンクするAmazonで用意されたアフェリエイトの商品画像が小さくて少し不満だったので、どうしたら大きくなるか調べてみたら、良いサービスがありました。


amazon画像リンク作成ツール


簡単に画像サイズが調整できて便利です(もちろんアフェリエイトも対応)。こんな感じ。

内田樹「増補版 街場の中国論」




書影だけのシンプル表示なのも気に入っています。なにより簡単なのがいい。書評系のブログをしている人やAmazonアフェリエイトを使っている人は利用してみてもいいのではないでしょうか。

さて、それではこの本の紹介です。

まずタイトルに「増補版」と書いてあるように、この本は2007年に出版された「街場の中国論」の増補改訂版で、2011年3月に出ました。増補版では「増補版のための解説」に加えてまるまる三章増えているので、今から読むなら絶対こちらを読んだほうがいいです。

時間がなかったら立ち読みで「増補版のための解説」だけでも読んで欲しいぐらいの勢いでオススメです。

以下その「増補版のための解説」から一部引用

日本のメディアで語られる「嫌中国論」は読んでみると、どうも「中国は日本みたいではないからよろしくない」ということをいろいろな語法で繰り返しているだけのように見えます。
(中略)
でも、そんなこと言ってもしかたないじゃないか、というのが僕の率直な感想です。だって、違う国なんだから。違う国どころか、これからどんな国になるのか、誰も確定的な予測が立てられない国なんだから。

(引用終わり)

とかく短絡的になんでも「共産主義」と「独裁」で説明し、「中華思想」を「覇権主義」と読みかえて語られることの多い中国ですが、人口にして日本の十倍以上の国がそんなに簡単に単純化できるものではとうていないと思います。

文化的、歴史的背景を鑑みれば、中国は昔から今もかわらず中国です。それはおもしろいぐらいに。今の中国共産党の振る舞いを考える場合においても、日本や西洋諸国の常識を単純に是として違う点を欠点だとするのではなく、中国の立場や考え方、その国特有の物語や彼らなりの正義というものを理解しようとしないことには、この国の実態はなかなかみえてこないと思います。

そういう中で内田樹は

できれば、中国人が読んでも「なるほど、そうか・・・・・・」と納得できるようなもの、欲を張って言えば、「翻訳して同胞に読ませたい」と思うようなものを書きたい。

そのためには通俗的な中国論と構成を逆転させなければなりません。

繰り返しになりますが、それは「国民国家の成員たちは固有の物語の中で棲息していて、その物語に即して政策決定をしている」ことを認めた上で、「それがどういう物語であるかを想像的に再構成してみる」という作業です。

(引用終わり)

こう前書きして、中国論をすすめていきます。この「想像的に再構成した物語」がまたおもしろいのです。

というわけで続きます。

2012/01/17

三顧の礼と庵に放火する張飛

テレビドラマ三国志、今回は第33回と第34回を借りてきました。


第33回はまさに「その時歴史が動いた」というにふさわしい三国志屈指の名場面、「三顧の礼」です。



年号は光栄の三国志ではシナリオ4でおなじみの207年。赤壁の戦いの前年です。




劉備はこの時、47歳、それにたいして孔明も27歳と実はそれほど若くはありません。

今風に言うと、自宅にひきこもってこの歳までニートやっていたようなやつだったわけです。

いくら仲間内で評判が高かったといってもしょせん勉強が優秀だっただけにすぎないわけで、27歳までろくに実務経験を積んでいなかった秀才が、実戦で果たしてどの程度力を発揮できるのかは未知数、と考えるのは関羽や張飛でなくても普通だと思うのですが、そんな疑念を一切いだかず、20も年下のニートを三度も訪問して頭まで下げてスカウトしたのですから劉備もただものではありません。

もちろん、実務経験ゼロから10年もかからずに、自分の領地さえもっていない劉表の居候のおっさんを補佐して自分の構想であった三国鼎立までもっていってしまった孔明のすごさはいうまでもありません。

ちなみにドラマでは劉備が最初に訪問した時は、孔明は旅に出ていて留守だったという設定になっていて、行き先は実は蜀の国の下見だったと後で明かされるという、今後の展開につなげやすくなるなかなかうまい演出になっています。


関羽と張飛です。関羽の容姿の特徴が棗(なつめ)のような顔に、見事な髭の持ち主」なのですが、まさに関羽以外の何者でもない、みごとな役者さんです。

棗(なつめ)


張飛は張飛で「豹のような頭にどんぐりまなこ、燕のようなおとがい(顎)に虎ひげをたくわえている」という三国志演技の描写を具現化したような、どこから見ても張飛です。

彼はこのドラマでは口先だけでなく、本当に孔明の庵に火をつけて燃やしてしまいます(笑)。

そして第34回で時代はいったん戻って200年、孫策の暗殺から始まります。

孫策は三国志演義では于吉仙人に呪い殺されてしまうことになっているのですが、このドラマでは怪力乱神は語らないらしく(仙人好きなので、個人的には残念。ということは曹操をおちょくりまくった左慈もでてこないのかな)、普通に狩りの時に刺客によって暗殺されてしまいます。

後を弟の孫権に任せて死ぬ孫策。しかしこの後継者指名に不満を感じ孫策の妻の大喬をたてようとする勢力があらわれ、孫権は自分の力ではとても江東はおさめきれないとの思いをつよくする。そして孫権は孫策の親友の周瑜に自分にかわって孫策の後をついでもらうようお願いする、と多少オリジナルな展開になっています。もちろんそんな申し出を周瑜がうけるはずもなく、最後は孫権も腹をくくるんですが。

そこで気になるのが大喬ですが、演じているのは劉競という役者さんです。


刘竞的Blog


ドラマの中の大喬はなかなか綺麗で良い感じだったのですが、本人の記事やブログを検索して今の姿を拝見すると、普段はずいぶん濃い化粧をしていて、個人的にはかなり残念な仕上がりになっていました。ブログも数年前から更新が止まっているようです。

ともあれ、これで孔明と孫権が歴史の表舞台に立ち(実はこの二人の年齢は近くて、孔明が一歳年上)、役者はそろい、いよいよ物語は赤壁の戦いへと向かっていくわけです。


(参考資料)

立間 祥介「諸葛孔明  -三国志の英雄たち-」

この本は諸葛亮本の定番といえば定番なのですが、今読むと普通すぎて特におもしろいわけでもなかったです。





2012/01/16

オススメiPhoneアプリとラジオ局



前回は自作のアンドロイドアプリを紹介しましたが、私自身が普段使用しているのはソフトバンクのiPhone4Sです。

アンドロイド開発のためにシャープのIS04という端末を別途回線契約なしで購入したのですが(ちなみにOSはAndroid2.2です)、まだまだAndroidの操作性はiPhoneに遠く及ばず、ちょっと普段使いする気にはなりませんでした。

もっと高性能な端末でしたらもう少し印象は違うのかもしれません。アンドロイド 4.0 アイスクリームサンドイッチが安定したら、少しは差が縮まるかもしれませんので期待したいところです。

それならなぜiPhoneアプリをつくろうとしないのか、といいますとiPhoneアプリを作るのに使う言語がAndroidアプリと違っていて、iPhoneの方が難しいみたいなんですね。ですので、iPhoneアプリ開発に手を出すのはAndroid(JAVA)にもう少し慣れてからにしようと思っています。

さて、そんな普段使いのiPhoneのなかでも特にお世話になっているオススメアプリを紹介します。

TuneIn Radio Pro (85円)
http://itunes.apple.com/jp/app/tunein-radio-pro/id319295332?mt=8

ラジオアプリです。これ一つで日本も含めた世界中のラジオ局が簡単に探せます。日本語で使えて有料版のProだと録音までできてしまうので、非常に重宝しています。このアプリ、検索する時に音楽のジャンルが選べるだけでなく、国や言語、ニュースやトーク番組なんかまで探せてしまいます。もう本当にすごい。こんなのが昔から欲しかったんだ。

そしてバックミュージックとしてよく聞いているクラシックファンにオススメのラジオ局がここ

OTTAVA(オッターヴァ)
http://ottava.jp/about/index.html

日本のクラシック専門局です。
海外にもクラシック専門局はたくさんあって、昔はよくそういうところを探して聞いていたのですが、ここでしたら曲の解説やナレーションが日本語ですので音楽だけでなくクラシックの豆知識が増えたりするのがいいです。

ラジオを聞くのが好きな人や、作業用BGMをいつも探しているような人にはオススメです。

2012/01/14

Androidアプリができました。「中国語流行歌ベスト10 (2011年版)」

職業訓練でアンドロイドアプリ開発コースを受講して6ヶ月。
先日発表会があり、無事終了しました。

プログラミング知識ゼロでJAVAの勉強からはじめて、どうにかそれなりの形になったものをつくることができました。

アプリ名は「中国語流行歌ベスト10 (2011年版)」
2011年の中国語(普通語)の流行歌の月間ベスト10をリスト化してYouTubeへのリンクにとべるようになっているアプリです。

プログラミングがわかる人からみたら(わからない人がみても)単純な機能しかつけていないしょうもないアプリだと思いますが、日本の歌の中国語カバー曲を探すこともできて、中国語ソングに興味がない人でも、ちょっと楽しめるように工夫してみました。

アンドロイドマーケットにも出しましたのでよろしかったらお試しください(もちろん無料です)。

https://market.android.com/details?id=activity.sample&feature=search_result#?t=W251bGwsMSwxLDEsImFjdGl2aXR5LnNhbXBsZSJd

なお、アンドロイドマーケットにコメントをつけて、ステルスマーケティングしてくれるのも大歓迎です。

「このアプリを使ったら背が伸びました!」
「貧弱な僕もこのアプリでムキムキに!」
「合コンで、女の子がこのアプリに興味津々。おかげで彼女ができました!」
「今の厳しい経済情勢のなか、ビジネスマンにこのアプリはマストだ!」
「このアプリで5kg痩せました!」

など、利用者の喜びの声をお待ちしております。

(まさか本気にしないとは思いますが、もちろん冗談ですよ)

さあ、いよいよ就活だ。がんばろう。

2012/01/09

最後は勝ち組の仲達

テレビドラマ三国志を前回は第一巻を借りておもしろかったので、今回最終巻を借りてみました。最終巻は第94回と第95回。

原作がわかっていると、どこから見てもそれほど困らないので助かります。さすがに全部見るのはしんどいので。

第94回が孔明の死、第95回の最終回が仲達の死でそれぞれ終わっています。

三国志のラストが仲達の死というのはなかなか新鮮でした。

だいたいは

1,蜀の滅亡
2,呉の滅亡(晋の統一)
3,孔明の死

のどれかなので、これだけを見ても単なる蜀が主役の三国志演義をなぞっただけのドラマではないといいたげな意気込みを感じました(本当はこのクオリティで呉の滅亡までやってほしかったのですが)。

このドラマ、ディティールがなかなか本格的で、登場人物の呼称が対人関係によって役職名、名、字と使い分けられているだけでなく、同じ人間同士であってもシチュエーションによって呼び名を変えるので、そこらへんに注意しながらみてもなかなか楽しいです。

例えば孔明と魏延の関係は、上司部下なので、魏延は孔明のことを普段は「丞相」と呼びます。そして孔明がいない所では彼のことを「諸葛亮」と呼びますし、孔明は孔明で普段は魏延のことを「魏延」と呼んだり「魏将軍」と呼んだりしているのですが、二人だけになって打ち明け話をする時は「文長(魏延の字)」と呼んだりするのです。

あるいは兵士たちは仲達のことを「司馬懿様」や「仲達様」とは絶対呼びません。「都督」「司馬都督」と必ず役職で呼ぶのです。そして皇帝(曹叡)は司馬懿のことを時には「仲達」と呼んだりするのです。

主役級だけならこういうところにこだわっている作品もたまにありますが、脇役まで含めてこういうところにこだわるのは中国人的に当たり前なのか、製作者のこだわりなのかわかりませんが、新鮮でした。

次はどの巻を借りようかな。




2012/01/07

科挙 中国の試験地獄

これを読めば科挙の全てがわかる!
わかりたいかどうかはともかく。

宮崎市定「科挙 中国の試験地獄」


科挙と言えばご存知のとおり中国の国家公務員試験なわけですが、なにがすごいって、この制度、始まったのが587年の隋の時代なのです。

はじまった当初こそ、なんだかんだいっても九品官人法のなごりで貴族の子弟がコネやズルをして合格したりもしていたみたいですが、宋代以降は試験の公正さが徹底され、完全実力主義の世界になりました(もちろん現代同様、勉強に専念する環境が必要なためある程度裕福な層に限られはするのでしょうが)。

同年代の他の国を見回してみれば、これがいかに先進的な制度だったかわかるというものです。

一部の例外をのぞけば身分によって差別されずに誰でも挑戦できるうえ、合格して晴れて役人になったあかつきには、出世すれば宰相にだってなれてしまうのです。

科挙の歴史的な意義は他にもあって、科挙で最終的に合格者を選ぶのは皇帝です。これによってそれまで家柄によって官職を得て、官吏任用権などの特権を行使していた貴族の力が弱まり、結果として皇帝の独裁権力が確立されました。

受験者にとっては人生をかけた試験ですので、試験をする方も大変です。

受験者の中にはカンニングのために本屋ができるほどの大量の本を持ち込んだり(どうやったんだ?)、下着にびっしり書き込みをするようなふとどき者もいたようですし、採点する側も、不正を防ぐために答案用紙の名前は上に紙を貼って見えないようにした上で、筆跡が採点者にわからないように別の人間に書き写させた答案を採点させるなど、徹底しています。

本書では科挙の歴史や制度、受験する人達の悲喜こもごもなどが書いてあって、これ一冊でひと通り科挙のことはわかります。

この科挙という制度によって中国に士大夫という階層があらわれて、それが今の中国の官僚支配に連なっているともいえるので、現代中国を知る上でも価値ある一冊だと思います。




貂蝉かわいいよ貂蝉

テレビドラマ「三国志」にでてきた貂蝉(DiaoChan)役の綺麗な女優さん、チェン・ハオについて調べてみました。

陳好(チェン・ハオ、Chén Hǎo 。1979年12月9日 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%A5%BD (ウィキペディア 日本語)
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%A5%BD (ウィキペディア 中国語)

ブログ(陈好和你在一起)
http://blog.sina.com.cn/chenhao

歌も歌っているみたいです。
貂蝉役で出ていた時は2008年なので20代後半か、どうりで少し(以下略)。



ちなみに中国古代四大美人というのがありまして、「西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃」というのが定説だそうです(「西施、虞美人、卓文君、楊貴妃」というパターンもあり)。

中国の故事成語に「沈魚落雁、閉月羞花」というのがあって、沈魚が西施、落雁が王昭君、羞花が楊貴妃のことで、この中の「閉月(月が彼女の可憐さに圧倒されて雲に隠れた)」というのが貂蝉のことです。

元が小説上の架空の人物なので、どれが正しいというものでもないのですが、董卓の死後、彼女はそのまま呂布の妻となったり(三国志演義はそうなっています)、自殺したり(吉川英治の小説や横山光輝の漫画がそうであるように、これが日本人好みなのかもしれません)、本によっては呂布の死後、関羽がもらおうとしたりと作者の個性や解釈によってアレンジの仕方が様々ですので、いろいろな作家の三国志を見る時はそこに注目してみるのもおもしろいかもしれません。

参考文献:加藤徹「中国古典のスターたち」







2012/01/05

テレビドラマ「三国志」

テレビドラマ「三国志」の第一巻を借りてみた。

http://www.sangokushi-tv.com/index.html

昔からこういうのが見たかったんだよ。赤壁の戦いを扱ったダイジェストとかじゃなくて全編通した、しかも予算をケチらず、しょぼくないやつを。こういうのができるようになったのも中国の経済発展のおかげですね。

一巻は西暦189年から始まります。

光栄三国志シリーズでいうシナリオ1「打倒董卓」にあたるお馴染みの年ですね。

黄巾の乱から始まって欲しいという気もしないではないのですが、そこまでしてしまうと果てしなく長くなってしまいかねないのでいい判断だと思います。

曹操が董卓を暗殺しようとして失敗して逃亡生活を送るところまでが第一巻です。貂蝉は少し年がいきすぎているような気がしないでもありませんが、綺麗な人でした。ここは重要なので、ホッと一安心です。

一巻を見るかぎりは全体的に原作に忠実で好感がもてました。(レッドクリフのような大胆な解釈もあれはあれで好きなのですが)。

よかったので、もう少し見てみようと思いました。