藤子不二雄A「劇画 毛沢東伝」
毛沢東は革命家としての前半生と、中国の指導者としての後半生の評価に非常にギャップがある人ですので(最初は開明的で英明な名君、晩年は暴君っていうパターンは中国の皇帝ではよくあるパターンですが)、毛沢東を、正義に燃える熱い青年として漫画的にわかりやすく描くために、人生の前半のピークである中華人民共和国成立で終えて、晩節を汚したその後を描かないというのは、漫画化する上で一つの正しいありかたかな、と思いました。
そういう負の部分も含めてその人の人生を全て描ききってこその伝記ではないか、という意見ももちろんあるかとは思いますが、毛沢東の入門として、この漫画で彼の功罪の「功」の部分をまず知るのも悪くないのではないでしょうか。
ちなみに漫画としての読みやすさ、おもしろさはまあまあといったところでしょうか。藤子不二雄A先生の他の作品と比べると、今ひとつでした。少しでも毛沢東に興味がある人向けですね。
それはさておき、以前行ったロフトプラスワンでの「石ノ森スピリッツ」スタジオゼロ物語というイベントで、ちょうど藤子不二雄A先生がこの作品を話題にしていましたので、その部分を一部編集して文字おこししてみました(スタジオゼロについてはリンク先を参照)。
当時の状況がいろいろわかっておもしろいです。以下、文字おこしです。
藤子不二雄A「例えばほら、セルに焼き付ける機械、トレースマシーンってのが(スタジオゼロに)あって、これはセルに書いたアニメを映す機械なんですよ。写真なんかをそこへのせると、真っ黒で中間色がとんじゃうんですよね。
で、僕は当時、「笑うせえるすまん」とかそういういろんな青年まんがを描いていて、特にブラックユーモアのいろんな短編を描いていたんで、これをなんか使えないかなあと思って。
わざとそのギャグみたいななかに一コマ大きくとって、そこにそういう黒白のを入れると、ものすごい効果があってね。
それからそうそう、「毛沢東伝」ってのを描いていたことがあったんですよ。
あのころはね、「怪物くん」描きながら「毛沢東」描いてたんですよ。まったくミスマッチなんですけどね。
まだ日中国交回復の前ですけど、僕は毛沢東大好きで。思想的にじゃなくてね、毛沢東が中国の長征っていうのをやるドラマは、ロマンだと思ってずっと研究していたんですよ。
そしたら、漫サン(週刊漫画サンデー)から描いてくれって。それで始めたんですよ。
そうすると週刊漫画サンデー、当時ナンセンスの漫画が得意で、それこそ園山俊二氏とか東海林さだお氏とか福地泡介とか全部ギャグですよ。そこに真ん中の折の部分だけ16ページの毛沢東伝が全くミスマッチでね。
前が谷岡ヤスジさんの「アギャキャーマン」で、そこへ毛沢東伝が入ってね「これは19××年、毛沢東は長征を開始した」とかね、ものすごいリアルに描いていったからね。逆に非常におもしろかったですけれど。
それにそのトレースマシーンを駆使して使ったのが非常に効果があってね。あの後、僕の作品にやたらと使うようになったんですよね。これもやっぱりスタジオゼロのおかげですね。
それは人気が出たんだけれど、もういろんな右翼とか・・・。
あのころまだ日中国交回復の前で、ある意味で毛沢東を賛美する漫画ですから。
当時は毛沢東はもう偉い中国の国家主席になってて、そのあといろんなことがありましたけれど、少なくともその長征を完遂するまではロマンを感じたんで描いたわけで、思想的なものは僕は別に共産主義でもなんでもないんですけれど、いろんな圧力がかかって大変でしたけど。それをくぐり抜けて今日まで来たんですよ(笑)」
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「石ノ森スピリッツ」スタジオゼロ物語
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