2011/08/07

あなた方は神で、われわれは悪魔ですよ!

感想を一言で述べると

「21世紀の今もソビエト連邦は、そしてレーニンは生きていたんだ!」

という感じでしょうか。

「中国共産党 支配者たちの秘密の世界」
リチャード・マクレガー (著), 小谷まさ代 (翻訳)  草思社



♦(引用)2008年、バチカンとの非公式な交渉に当たっていた中国人がバチカンを訪れたさい、中国共産党とカトリック教会の不気味とも思える類似点について、こんな冗談を言った。

「中国共産党に宣伝部があるように、あなた方の教会には布教活動に熱心な人々がいます。われわれに中央組織部があるように、あなた方には枢機卿会があります」

バチカンの役人が「では、違いはどこだとお考えですか?」と尋ねると、その中国人はからからと笑いながらこう答えた。

「あなた方は神で、われわれは悪魔ですよ!」

(第一章 赤い機械 党と国家)

♦英『エコノミスト』『フィナンシャル・タイムズ』両誌の“ブック・オブ・ザ・イヤー2010”に選ばれた、最新の「中国共産党研究」です。中国共産党を理解する上で重要な内容を網羅した力作でした。

中国共産党について知ることは本当に難しい。

その徹底的な閉鎖性のために、一般の日本人がたとえ長年中国に住んでいた(あるいは住んでいる)としても、あるいはどんなに親しい中国人の友人がいても、そして現地メディアや香港メディア、ネットなどを原文でチェックしたところで、その実態を知ることはほとんど不可能なのではないかと思います。

どういう組織で、どういう歴史があって、どういう人物がいてということは調べればわかるのですが、その中の人事や意思決定の仕組み、人民解放軍と政府、民間企業と国営企業の関係などがどうしてもよくわからない。

それが、この本のおかげでようやく少しだけわかったような気がしました。

♦この本によると、中国というのは世間で言われているような「政治は社会主義で経済は資本主義」のいいとこどり(?)などではなくて、その実態はレーニンの作った旧ソ連の組織形態を忠実に受け継ぎ、人事システムを究極まで推し進めた旧ソ連以上に官僚支配が行き届いたまぎれもない共産主義国家なのです。

そして同じ共産主義国家として、崩壊したソビエトの事例を教訓として、情報統制や経済政策などを徹底的に学んでいます。

中共が民間企業や銀行に対して、いまだにここまで強い影響力を行使していたとは思いませんでした。大企業(もちろん民間の)のトップの首が国の意向で簡単にすげ替えられるなんて、ちょっと他の国ではありえません。

そうはいっても、今のところ、それがどうにかこうにかうまく機能しているのは経済発展の面をみれば明らかで、金融面でも、リーマンショックで諸外国が痛手を受けているのを尻目に、銀行の融資を厳しくコントロールしてうまく金融危機を乗り切り、その後の国際社会における中国の相対的地位を高めてしまいました。

♦(引用)中国外交のトップ、戴秉国(たいへいこく)の言葉によれば、中国の「最大の関心事は、国家の基本システムと国家の安全保障を維持すること」である。

国家の主権、領土の保全、経済発展、これらはどの国にとっても重要な課題だが、中国ではそれらが全て、党の権力保持という課題より下位に置かれているのだ。

(プロローグ)

♦中国の政治体制をわかりづらくしている理由の一つが、一党独裁でありながら、党と政府は完全に同じではないというところです。

表向きは政治は政府(国務院)が行いますが(内閣のようなもの)、裏側で実権を握っているのは「中国共産党」。基本的に政府の役職より党の序列のほうが優先されるのですが、実際には兼任している場合も多いのでややこしいです。

そして党内では常に強烈な派閥抗争があるので、中国共産党も決して一枚岩ではなくて、その時々の人事の力関係で政府の決定が右へ左へ大きく揺れているので、単純に「中国は今こう考えている」といいにくいのです。

ここらへんは昔の日本の自民党単独政権のころと似ているといえば似ていますね。ただ、軍の力も強いという点が日本とは圧倒的に違います。

組織上、党の下に位置しているはずの軍隊(人民解放軍)は、必ずしも党に絶対忠誠というわけではないために、党は常に軍の掌握にも四苦八苦しており、それがために政府も外国(含む台湾)に対して弱腰と取られるような対応がとれません。それが時として、外国から見て中国が理解しがたい行動をとることにつながっているのです。

♦もちろん中国の最大の問題点で政権のアキレス腱になりかねない官僚の腐敗についても紹介されています。

なにしろ腐敗を監視する機関の代表が党の幹部よりも役職が下なのですから、汚職の摘発なんてできるはずもありません。

我々から見たら、単純に「腐敗監視は独立した機関を設けたらいいのではないのか」と思ってしまうのですが、それでは「中国共産党が退廃的なブルジョア思想としてこれまで否定し続けてきた、モンテスキューの「三権分立」を行うことになってしまう」からできないのだそうです。これは完全に構造的な問題ですね。

♦そんなこんなで、分厚くて翻訳書なので文章も読みにくいのですが、あまりにも「共産党のそこが知りたい」というツボが次々に解説されるので、一気に(といっても一週間ぐらいかかって)読めました。

この手の中国共産党本は、反中イデオロギーに凝り固まって、なんでもかんでも悪意をもってとりあげて脅威を煽ったり、むやみに侮ってその実力を過小評価していることが多いので、これまでなかなかいい本が見つけられなかったのですが、本書は客観的な事実に基づいて公平にとりあげているので、その点でもとてもよかったです。

2011/07/21

「中国語ジャーナル」と「聴く中国語」

先日、中国語学習雑誌「聴く中国語」の8月号を買いました。

特集が「三国志 魏呉決戦の地 合肥」と「孫子の兵法書」だったのでそそられたのですが、読んでみたらどちらも期待はずれでした。

「三国志〜」は合肥の観光案内に少し三国志を絡ませた程度の内容で、「孫子の兵法書」に至っては、孫子を題材にした中国ドラマの紹介でがっかりでした。ひどい。うまく釣られてしまいました。

それはさておき、せっかくなので今日は中国語学習雑誌についてご紹介。

現在、中国語学習雑誌でメジャーなものは二誌あります。

アルク「中国語ジャーナル」と、日中通信社「聴く中国語」。それぞれ個性と癖があります。

まずはアルクの「中国語ジャーナル」


なんといっても語学出版大手のアルクだけあって、スタイリッシュで洗練された手堅い作りです。

旬の俳優や歌手などが表紙を飾り、中身も中国、台湾、香港の流行りものや中華料理のレシピ、古典や流行歌の紹介に検定試験対策などバラエティ豊かで、入門者から上級者までどのレベルの読者にも対応している間口の広い構成になっています。

文法や翻訳の解説のような教科書的コーナーのレベルも高く、決してミーハーなだけの雑誌ではありませんので、読み物としても学習教材としても楽しめる優れものです。初めて中国語学習雑誌を買う時に、どちらを買うのか迷ったら、こちらを選んでおくのが無難です。

それに対して日中通信社「聴く中国語」


表紙のデザイン、ゲストの「格」や、写真ページの紙質などぱっと見の印象でマイナー感がただよい、アルクと会社の規模の差を感じさせられます。そこらへんはページ数でカバー、と思っているのかどうかわかりませんが、中国語ジャーナルよりボリュームは少し多いです(値段はどちらもほぼ同じ)。

以前の私のイメージでは「センスの良い中国語ジャーナル」と「ダサくてマニアックな聴く中国語」だったのですが、久しぶりに買ってみると、オールカラーになっていたり、CDに加えて中国ドラマのDVDまで付けるなど中国語ジャーナルとの差別化をはかりつつも、かわいいイラストを増やし、ネット小説や中国ブログをとりあげるなど今風の内容もフォローしたりしていて、以前よりは垢抜けて取っつきやすくなっていました。

とはいえ、中身のマニアックさは健在で、中国語ジャーナルと比べて難易度が高いというわけではないのですが、記事の内容がバラエティー豊かではあるものの、扱っている対象が少しずつ王道からはずれているのが「聴く中国語」の魅力であり、短所でもあります。

例えば、今号の詩のコーナーでは、日本人受けのいい唐の杜甫や李白や白楽天ではなく南宋の李清照という渋いところを持ってきています(もちろん李清照は中国では超メジャーな人なのですが)。

「中国語ジャーナル」が「日本人にウケる内容」の視点だとしたら、「聴く中国語」は「中国人がこの雑誌を見てピンとくるか」をポイントに編集しているように感じます(もちろん勝手な想像ですが)。

私はどちらかというと「聴く中国語」派で、読むたびに「こんなマニアックな題材を丁寧に扱って、わかっているなあ。でも本当にこの雑誌、ちゃんと売れているんだろうか?」とニヤニヤしているのですが、ずいぶん昔からある雑誌ですので(創刊して9年目)、たぶんこの雑誌の読者層がそういう人たちなんでしょうね。

ただ、こちらの場合、連載は後日、「別冊 聴く中国語」というムックにテーマごとにまとめられることも多いので、わざわざ雑誌を買う必要がないのではないか、と思わせられるのが玉にキズではあります。

この2雑誌、中国語初心者なら中国語ジャーナルの方がお勧めなのですが、中級以上の人にとってはどちらも一長一短で甲乙付けがたいので、買うときは「特集が面白そうな方」を選べばいいと思います。

2011/07/12

三田村泰助「宦官 側近政治の構造」中公文庫



♦宦官とは

念の為に説明ですが、宦官とは去勢されて(あるいは自らの意思でして)、宮廷(主に後宮)に奉仕する存在です。

宦官といえばなんといっても中国が有名ですが(殷から清まで歴代王朝が使っている)、実はエジプト、ギリシア、トルコ、朝鮮やペルシアなど当時の主要先進国ではたいてい存在していて、逆に日本にいなかったのが不思議なぐらい歴史上一般的な存在です。ただ、その性質上、歴史の表舞台に現れることは少なく、出てくる時はたいてい権力を握って国を滅ぼすような特殊な場合に限られるので、普通に世界史を読んでいても「宦官」について、なかなか知る機会がありません。

本書はそんな宦官について知りたい人のために、主に中国の「漢、唐、明」王朝の宦官を中心に書かれた超ロングセラー(元となった中公新書版の初版が1963年、私の手元にある中公文庫版は2003年の改版)で、東洋史や中国史、中国文学を学ぶ人なら必ず参考文献の一つにあげられるような「宦官本」の定番です。

♦エピソードの宝庫

なんといっても現代では考えられないような特殊な風習ですので、おもしろエピソードの宝庫です。

本書では例えば去勢の方法、去勢後の処置、宦官の特徴(ヒゲがない、元々ヒゲが生えていても去勢後2,3ヶ月でなくなってしまう、声が甲高く耳障りになる、前かがみに小股で歩くなど)、実は宦官にも男女関係や夫婦関係が存在する(!)などいろいろあげられているのですが、その中でおもしろかったものを一つ紹介。

去勢して、切断された「もの」は「宝(パオ)」と呼ばれ、刀子匠(去勢する職人)が大事に保存します。そして、宦官は昇進の際に、それを返してもらうのです。なぜならこの「宝」は階級が上がるごとに見せなければいけないもので、それができないと昇進ができなくなってしまうからです。
さらに「宝」は、死後に棺桶に一緒にいれて埋葬します。これは宦官があの世に旅立つにあたって本来の男性の姿にたちかえることを望み、もし「宝」が欠けた状態であると、冥土の王様が来世に雌の騾馬にかえて出生させてしまうという迷信を強く恐れたからです。

ただ、宦官のなかにもうっかりものがいて、刀子匠に返してもらうのを忘れる人がいました。
そうした場合、「宝」は刀子匠のものになってしまいます。
そこで宦官はなんと、刀子匠から「宝」を「買ったり」、友人から「借りたり」、「賃借りしたり」して間に合わせたりするのです(もちろん死後に棺桶に入れる分も代用品はありです)。

♦中国史上有名な宦官

なにかと悪者にされがちな宦官ですが、もちろん宦官の中にも優秀な人はいて、社会の発展に大きく貢献している人もいます。

例えば「史記」の司馬遷、紙を発明した蔡倫、「三国志」でおなじみ曹操の祖父(もちろん宦官ですので血のつながりはなく、曹操の父親が宦官の養子)、「水滸伝」好きにはお馴染み宋代の童貫(これは悪い宦官ですね)、明の時代(15世紀初)大艦隊を率いて世界を航海した鄭和、など枚挙にいとまがありません。

もちろん、たいてい国が滅びるようなときには宦官がからんでくるのですが、そんな存在が中国では長い間なぜ廃止されずに中華民国建国まで残っていたのか、についても本書では触れられています。

♦最後に

中盤以降は宦官について、というよりも宦官が大きな影響力を持っていた漢、唐、明の時代の宦官、外戚、官僚(士大夫)が勢力を争う(サブタイトルにあるように)側近政治史になっていますので、宦官についてだけ知りたいという人にとってはその部分が余分に感じられるかもしれませんが、そうでなければ中国史研究としても一級品で、権力の腐敗に抗おうと制度に様々な工夫をこらしたはずの各王朝が、それでもなお、腐敗していってしまう様がよくわかっておもしろいです。

内容はやや固めですが、文章は昔の学者先生の書いた本とは思えないぐらい読みやすいので、これを読んで興味をもたれたかたは、一読をお勧めします。

2011/05/16

加藤徹「貝と羊の中国人」2



前日の加藤徹「貝と羊の中国人」の紹介の続きです。

第四章
人口から見た中国史

過去の歴史から学んで、人口増加を抑制し、破局の回避に成功した王朝は、一つもなかった。

中華帝国の人口規模の限界は長い間「戸籍登録人口六千万、実人口約一億」だった。
人口がこのラインに近づくと、農業生産が人口を養いきれなくなって、社会不安が起こる。
混乱と人口崩壊の中で、王朝は滅亡する。このパターンは紀元一世紀初めの前漢末から17世紀半ばの清の初めまで何度も繰り返された。
17世紀までこの壁を突破できなかった。

中国文明は、いつの時代も、人口と食料、資源が、ギリギリのバランスを保っていた。
政治の力で社会全体を上手にコントロールしないと、たちまち飢饉や戦争などの人災が発生した。必然的に「政治的文明」になった(儒教やマルクス主義は、政治の力で社会を救済しようとする)

第五章
ヒーローと社会階級

中国の黒幕は「士大夫(中間支配階級の誇り高い自称)」

士大夫が黒幕になれたのは儒教のおかげ。
儒教の本質は「士大夫の、士大夫による、士大夫のための教養体系」
中国社会において、儒教は初め、皇帝が天下を治めるための方便だった。
しかし時代が下るにつれ、状況が変わり、士大夫層が儒教の力を利用し、中国文明の事実上の支配者になっていった。

中国史は、一言でいえば、士大夫という階層が文明を乗っ取る過程の歴史。

第六章
地政学から見た中国史

中国でもヨーロッパでも、古来どの文明圏でも質実剛健な北方人は政治と軍事にすぐれ、才気煥発な南方人は文化と経済にすぐれる傾向がある。北と南の漢民族の遺伝的距離の遠さは、日本人と韓国人の遺伝的距離をはるかにしのぐ。

現代日本人の領土意識は、大正期や昭和期を飛ばして、日清戦争以前の明治が基準になっている。現代中国人の領土意識も日本人と似ていて中華民国を飛ばして清朝が基準になっている(だから台湾やチベット、新疆、モンゴルなどを中国固有の領土と信じて疑わない)。

第七章
黄帝と神武天皇

江戸時代後期、ナショナリズムの高まりによって神武天皇は日本民族統合の象徴として「再発見」された。日本に渡った清国留学生たちは日本人の影響を受けて、中国的ナショナリズムに目覚め、中国版神武天皇「黄帝」を再発見した。

富永仲基「加上説」
後発の学派ほど、自説を権威づけるために開祖を古い時代に求める傾向がある。
日本人はキリスト紀元より古い「皇紀」(ヤマト民族2600年)
中国人はより古い「黄紀」(漢民族4000年)
韓国人はさらに古い「檀紀」(朝鮮民族5000年)

日本人と中国人は、互いに敵として戦った経験ばかりで、共闘体験は皆無に近い。

終章
中国社会の多面性

日本人と中国人の類似性

中国人に対する外国人の不満や批判は、多くの場合、日本人に対するそれと一致する。
日本人が「日本的」だと思っている倫理観(義理、人情、信義、親孝行)の多くも中国人と似ている。なぜなら日本人が日本人らしくなったのは江戸時代に漢文の素養を身につけたせいだから。

現代中国社会を理解するための補助線として、昭和初期の日本社会を思い出すのが有効。
都市と農村の生活格差、国民の愛国心は強いが、外国へ渡航するものも多かった、軍部が強い発言権をもつ、言論の自由はあったが、言論後の自由はなかった。

中国の民衆は、馬鹿でない。テレビや新聞のニュースが、党や政府によってコントロールされていること、当局が公表する統計がみな「大本営発表」であることもよく知っているが、口にしないだけ。党も人民を信用していない。したがって中国社会では上も下もホンネとタテマエを極端に使い分ける。

中国人も一枚岩ではない。
反日デモも、反日を口実にしてデモを行い、国際問題にすることで中国共産党を困らせてやりたい、という隠れた動機で集まった若者も実はかなり混じっている。

以上、あまりにも興味深い内容が多いので、まとめるのをやめて主なところを抜き出して紹介してみましたが、これでも大分、面白い部分を端折っています。これを読んで面白そうだと思った方はご一読をお勧めします。

2011/05/15

加藤徹「貝と羊の中国人」



記念すべき第一回は加藤徹「貝と羊の中国人」。中国文化論です。

題名の「貝と羊」の「貝」とは華僑の商才に象徴される中国の現実主義、「羊」とは儒教や共産主義に象徴される中国人の熱烈なイデオロギー性をそれぞれ示しています。本書はホンネとしての貝の文化と、タテマエとしての羊の文化という異なる二つの性向が血肉になっているところに中国人の強みがあるとして、中国人を様々な角度から論じています。

中国について考える時、日本人と中国人では考え方が違うという前提を知っておくことは必須です。本書は特定のイデオロギーにとらわれることなく、文化、歴史、社会などを俯瞰してわかりやすく中国人の特殊性を教えてくれるので、中国理解の入門書としてオススメです。そして、日本は歴史的に中国に非常に大きな影響を受けていますので、中国を理解することによって、日本に対する理解も深めることができます。

では、内容を章ごとに紹介していきます。

第一章
貝の文化 羊の文化

有形の物材に関わる漢字「財」「費」「貢」「販」を貝の文化、無形の「よいこと」にかかわる漢字「義」「美」「善」「養」を羊の文化とする。

中国人の祖型は「殷(商)」と「周」という二つの民族集団がぶつかってできた。

殷人は農耕民族的、多神教的、有形の物材を重んじ、道教的(=貝の文化)
周人は遊牧民族的、一神教的、無形の「主義」を重んじる、儒教的(=羊の文化)

西洋の商人は、書面に書かれた「契約」を重んじるが、中国の商人は、無形の「信義」を重んずる。中国の一流の商人は「貝」の商才と「羊」の倫理をあわせもつ。

本書では現代の中国人の「羊」と「貝」の使い分けについて、2005年の反日デモを例にあげて説明しています。

政府の愛国教育は「羊」、日本との経済関係を維持したいという本音は「貝」。

愛国教育によって起こった反日デモも、経済に悪影響が出そうになると、
政府は頃合いを見計らって反日デモを封殺。
民衆も風向きの変化を敏感に感じ、ピタリと反日デモをやめています。
こういうところに中国人のホンネとタテマエの使い方をみることができるます。

第二章
流浪のノウハウ

中国語では「泊まる」と「住む」を区別しない(ともに「住」)。

中国史は流民の歴史でもあった。

日本史上、百姓一揆によって転覆した政権や王朝は一つもない。
中国は、広大な大陸で起きる農民反乱の持続期間は数年、参加人員は数百万、移動距離は数百キロから数千キロに及ぶのが常。中国史上、いくつもの王朝が農民反乱によって滅亡し、そのたびに中国の人口分布地図は大きく塗り替えられた。

中国史には流浪の英雄が多い。
晋の文公、孔子、劉備、孫文、毛沢東など。
日本の場合は源義経のように流浪の英雄は先細りの傾向。

中国辞任の最大の強みは、秘密結社や互助組織など、ネットワークづくりの巧みさ。

華僑、華人の存在感。
彼らは用心深く「中国人」という自称を避ける傾向がある。
(「中国」には中華人民共和国というイデオロギーの匂いがあるため)。

第三章
中国人の頭の中

中国人は病院のそばに葬儀屋があってもそれを「合理的」と考える。
日本人はウェット、中国人はドライ。

中国人は「大恩」は忘れないが「小恩(お茶をおごってもらうなど)」はその場で感謝しておしまい。日本人のように後日改めてお礼をすることはしない。

日本人は「功」と「徳」を区別しない。中国人は区別する。
「功」とは、自分の職業や仕事を通じて、世のために働くこと。
「徳」とは見返りがないことを承知で人を助けること。
中国人からすると、日本政府の中国に行ってきたODAは「功」ではあるが、日本政府の外交戦略など思惑があるので「徳」ではないと感じる。
「徳」に対しては純粋に感動する。

縄張り感覚が発達している日本人とおおらかな中国人。

日本語の「和魂洋才」に対して中国語の「中体西用」
日本なら「魂さえあれば、形は変えても良い」
中国の場合、そうはいかない。西洋のものを用いる時も、体は中国のままでなければいけない。だから国体(共産党体制)も変えるわけにはいかない。

中国人を説得する秘訣は「直截的に正論を述べること」

中国人は思想や宗教や思考方法においても、大づかみ式合理主義を好み、分析的合理主義を敬遠する。インド仏教は高度に抽象的で分析的であったため、禅宗をのぞいて宋代で衰退、消滅した。禅宗が残ったのは難解で抽象的な議論を排除し「不立文字」を身上としたから。

長くなったので、続きます。