今日紹介する本は、宮崎市定「雍正帝―中国の独裁君主」だよ!
」
アヒコ「あら、今回はちょっと難しそうな本ね。雍正帝ってよく知らないんだけれど、いつの時代の皇帝なのかしら?」
アヒオ「雍正帝は中国の清朝の最盛期のころの皇帝で、在位年数は1722年〜1735年。
日本で言うとちょうど徳川吉宗の享保期あたりだね。
清朝というと末期のアヘン戦争でイギリスに負けて、太平天国の乱で国内が混乱して、あげくのはてに日清戦争で日本に負けて、みたいなボロボロのイメージが強いかもしれないけれど、18世紀半ばの最盛期の頃の清朝っていうのは、一説には当時の世界のGDPの1/3を占めていたといわれているぐらい栄えていたんだ。これはだいたい今のアメリカと同じぐらいだからその凄さが想像できるよね。
その当時はまだヨーロッパでも産業革命も始まっていないころだから、当時の清朝は産業、文化水準ともに西洋を凌ぐ世界のトップレベルだったわけだ。
この清朝の繁栄を築いた理由の一つにはこの時代、康熙帝、雍正帝、乾隆帝と、立て続けに三代、名君が続いたという世界史上稀にみる僥倖があったんだけれど、本書はその中でも、有名な康熙帝や乾隆帝と比べると、どちらかというと影の薄い雍正帝にスポットを当てた珍しい本なんだ」
アヒコ「なるほど。題名に「独裁君主」って書いてあるぐらいだから、かなりやりたいほうだいやった人なのかなあと思ったんだけど、やっぱりかなり自己中な人で周りに迷惑をかけていた人だったの?」
アヒオ「いやいやいや。もちろん中国の歴代の皇帝にはそういう人も多かっただろうけれど、この皇帝はひと味ちがうよ。
「独裁」っていっても、この人の場合は権力を濫用して、自分のワガママをやりたい放題通すっていうタイプの独裁ではなくて、政務を部下に任せて放任せずに、なにからなにまで自分で把握して、決定をくだそうとしていた史上稀に見る勤勉な皇帝だったんだ。
だから、そのハードワークぶりは異常ともいえるぐらいで、朝四時半に起床してから、夜中まで一年中休むことなく政務を続けていたんだ。
アヒコちゃんもこの本を読んだら、「皇帝」のイメージがずいぶん変わっちゃうと思うよ」
アヒコ「そうなんだ。具体的にはどんな風に忙しかったの?」
アヒオ「例えばね、皇帝は毎年地方官に各地域の経済状態や気候なんかを報告させていたんだけれど、雍正帝はその報告を官僚経由で受けるだけでなくて、それとは別に「奏摺(そうしょう)」と呼ばれる天子の手元に直接届き、途中でだれにも覗くことができない私的な報告書の形式を使わせて、地位の高い官吏と地位の低い官吏のそれぞれに別々に報告させたんだ。
皇帝はそれらをチェックすれば誰が正しいことを言っていて、だれがいいかげんなことを言っているかがわかるっていうわけ」
アヒコ「すごいわね。でも、そんな細かいことまでいちいち皇帝自らチェックしていたら、ものすごい文書の量になりそうね」
アヒオ「そう。実際ものすごい文書量で、しかも皇帝のもとに届いた「奏摺(そうしょう)」を雍正帝は自ら朱筆で添削して返信までしているんだよ」
アヒコ「そんな赤ペン先生みたいなことまでやって家臣を教育していたのね・・・。皇帝も楽じゃないわね」
アヒオ「うんそうだね。ここまでやる人はなかなかいないだろうね。
余談になるけれど、そういった役人からの報告書に皇帝自ら添削した膨大な文書の一部を、雍正帝は自らセレクトして「雍正硃批諭旨(ようせいしゅひゆし)」という題名で出版までしているんだ。
この本の雍正帝のイキイキとした返事が面白くてね。
皇帝に対しておべんちゃらばっかり書いた家臣の文書には「おべっかはいらんから内容のあることを書け」と朱筆で返事をして怒ったり、出来の悪い報告の文書には「こんな出来の悪い報告しかかけないなんてお前はアホか?」みたいな罵倒の返事が書いてあったり、そして臣下からの直言に自ら過ちを認めた時には素直に謝っていたりと、本当に雍正帝の人間くさくて業務に一生懸命な様子がうかがえてすごく面白いんだ。
文書の性質上、体面を取り繕った外向きの文章でないから内容の信用度が高くて、今では清朝の研究をする際には一級品の資料になっているんだよ」
アヒコ「すごいわね。
でも、いくらそんな風に別々のルートから報告させても、結局みんな報告書にはいいことしか書かなかったりするんじゃないかしら?」
アヒオ「そこらへんは雍正帝もちゃんと考えていて、満州八旗という直属の部下(徳川幕府でいう旗本みたいなもんだね)を各地にこっそり配属させて、探りを入れさせ、こちらからも報告させるという、密偵政治を行なって情報の精度を確認していたんだ」
アヒコ「そこまでやるんだ・・・」
アヒオ「うん。徹底しているよね。
そうやって雍正帝は情報の精度をあげて、信頼出来る有能な官吏を自ら発掘して、彼らを適切な地位につけて政治を任せていったんだ。
そうやって彼が発掘する人材は必ずしも科挙出身の士大夫には限らなくて、能力のある人なら、どんどん抜擢していったんだよ。
そりゃあ、国もうまく治まるよね。
雍正帝は即位したのが45歳の時で、それまでは皇太子の地位を約束されていたわけでもない苦労人だったから、世の中のことを良く知っていて、なんでもかんでも科挙官僚に任せるとどういうことになるかもよくわかっていたんだろうね。
そして、この手法は一つ間違えれば恐怖政治にもなってしまいそうなんだけれど、雍正帝はそれを自分の権力維持や私利私欲のためでなく、天下万民のために使って政治を行ったんだ。まさにノブリス・オブリージュ(位高ければ徳高きを要す)ってやつだね。
そして自分自身は質素倹約に務めた。例えば、自己のために宮室の一棟も増築しなかったし、地方官が賀表(臣下が皇帝に祝いの言葉を奉る文)を奉るときに綾絹を使うと、不経済だからといって紙を使わせたりしたこともある。
この雍正帝の時に清朝の基盤をしっかりつくったおかげで、次代の乾隆帝の時に清朝が最盛期をむかえることができたという人がいるのも納得だ」
アヒコ「そんなすばらしい皇帝が歴史上いたのね」
アヒオ「他に、雍正帝の考案したものでおもしろいものとして、「密建の法」というのがあって、これは、皇帝は存命中、次の皇帝と決めた人物の名前を紙に書いて小箱にいれておく。そして皇帝の死後、諸皇子、大臣立ち会いのもと、この箱を開けて名前を書いてある人を次の皇帝にする、という決まりごとなんだ」
アヒコ「なんでそんなややこしいことをするの?
中国って普通は長子相続で、長男から順番に跡を継ぐ順番が決まっていくんじゃなかったかしら?
それに普通は早めに皇太子をたてて、後で後継者争いで揉めないようにするものじゃないかしら?」
アヒオ「アヒコちゃん、清朝は満州民族の王朝で、彼らは儒教の影響下にある漢民族と違って長子相続と違うんだ。
これはモンゴル民族の元朝もそうだったけれど、彼ら遊牧民族は強いリーダーを選ばないと自分たち全員が生き残れないから、「たとえ無能であっても無条件で長男が次のリーダーです」なんていう甘いことは言ってられない。実力のある人間を次のリーダーに選ぶんだよ。
でも、皇帝在位中に皇太子をたててしまうと、一つには皇太子が自分の地位は安泰だと安心して自己研鑚を怠けてしまう恐れがあるのと、皇帝の在位中から皇太子に近寄って派閥をつくろうとするようなふとどきな臣下がでて、皇帝派と皇太子派に割れる恐れがあるから、雍正帝は自分が死ぬまで、だれが後継者かわからないこの制度を思いついたんだと思うよ。
彼自身、後継者争いを最終的に勝ち抜いたけれど、それまでにだいぶ紆余曲折のゴタゴタがあったから、同じ過ちを繰り返すまいと思ったんだろうね」
でもそうやって考えてみると、清朝が三代続けて名君を輩出できたのは、満州民族の実力主義での後継者選びも関係があったんでしょうね」
アヒオ「なるほど、確かにそうかもしれないね。
この他にも雍正帝の業績やその政治手法で語りたいことはまだまだあるんだけれど、このぐらいにしておくね。
大体、こういう「皇帝一人で一冊の本」って、戦乱を勝ち抜いたり、外国との戦いに勝利したりと派手な業績のある皇帝をとりあげることがほとんどで、この本のように雍正帝という、在世中に大きな戦いもない、どちらかというと地味な皇帝をとりあげている例はめずらしいんだけれど、この本、確かに地味ながらなかなかどうして面白いよ。
文章も内容の割にはそこまで硬くないから読みやすいし、こういう優秀な君主が現実にいたのを知ると、独裁制っていうのも条件によっては一概に悪いものでもないんだなあって思うよ」
アヒコ「これを読んで、今の政治制度を考えることもできるってことね」
アヒオ「そういうこと。特に清朝ぐらいになると、時代が近い分、社会が今の中国とそれほど違わないから、この巨大な国をいったいどういう風に統治すればうまく治まるのだろうか、っていう視点から読んでみるのもいいと思うな。
それじゃあ、今日はこのへんで」
二羽「それじゃあみんな、またね〜」
To Be Continued...
<キャスト>
アヒオ・・・アヒル系男子。好きなチームはセレッソ大阪。
いつも楽しく読ませてもらっています。
返信削除そんな勤勉で仕事中毒な皇帝っていたんですね…
おどろきです。
機会があったら読んでみます(^^)
>キミドリさん
削除御存知の通り、清朝は満州民族が建てた国で、少数派が圧倒的多数の漢民族を支配しなければいけなかったので、統治の正当性というのが漢民族の国以上に問われがちで、そのため、皇帝といえども気を抜いていたら国を保つのが危ないという危機感を持っていたのがその勤勉さの原因かなあという気はします。
外人が日本に帰化すると日本人以上に日本人の美徳を守ろうと努力するのに近いメカニズムみたいな。
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