西岡文彦「絶頂美術館 名画に隠されたエロス」を読みました。題名で想像がつくように、ヌード絵画や彫刻などを中心に、西洋の美術史における重要な作品の中でも、特に性的な表現の強い作品について紹介した本です。
タイトルはやけに扇情的ですが、内容は真面目な本で、作品の描かれた時代背景をエピソードを豊富に交えてわかりやすく、美術史に興味が持てるように紹介されている良い本でした。
足指のひそやかな物語―オルセー美術館の甘美なるヴィーナスからはじまる、華麗なるサロン絵画への招待
絶頂のアカデミズム―パリ芸術界の女王となった高級娼婦の官能のボディラインが物語る、西洋美術「眠れる美女」の系譜
古代ヌードのくびれ効果―ハリウッド映画が今なおイメージ源にする古代ブーム美術に、自分をデザインする方法を学ぶ
新古典主義のトルコ風呂―ルーヴル自慢の近代ヌードの古典は、ヨーロッパ美術にひそむ東方ハーレム願望をあぶり出す
接吻するエクスタシー―愛の神クピドが恋に落ち、女神ヴィーナスも嫉妬したという美少女を描く近代彫刻の名品
涙の美少年ヌード―革命に命を捧げた少年兵は、なぜ全裸で描かれなくてはならなかったのか
無敵のギリシア同性愛軍団―敵将をも涙させたという、勇猛果敢な古代ギリシア神聖部隊の死に至る愛の絆
ヌードの虐殺―理想と冒険に身を投じた英国ロマン派詩人バイロンに託して、ドラクロワが描く激情の裸身たち
戦うレズビアン絵画―ナポレオン三世と戦った反逆の画家が描く「男性不要」の官能が意味するもの
挑発のカメラ目線―画面から絵を見る者を見返すヌードが巻き起こした、近代絵画最大のスキャンダル
ファム・ファタルの恍惚―男にもてあそばれる悲劇のヒロインが、男をもてあそぶ「宿命の女」に変身する時
禁断のマハの瞳―厳格なカソリック道徳の支配下、ひそかに描かれた禁断の裸体が現代に問いかけるもの
西洋では中世キリスト教の価値観の影響で、近代までの長い間、聖書や神話の一場面や歴史的事実を描いたものなどのような明確な理由がなければ、女性のヌードを描いてはいけませんでした。
逆に言うと、口実さえあれば、ヌードを描いてもいいというわけで、画家たちはヌードを描くために、聖書や神話を題材にしていたという側面もあったわけです。
そういう背景があったからこそ、マネが「草上の昼食」を発表した際、その絵の中に一般の女性のヌードが描かれていただけで、スキャンダルになったわけです。
マネ「草上の昼食」
普通の人のヌードはだめだけど、神様はもともと裸だから構わない。キリスト教徒でもない、東洋人にとってはバカバカしいとしかいいようがない話なのですが、こういった当時の時代背景がわかっていないと理解しがたい美術史上の事件や、絵を見ているだけでは気づきにくい作品の解釈をこの本は教えてくれます。
もともと「美」というものを客観的に評価するのは難しいのですが、それにしても西洋美術史を知れば知るほど、ますます美の基準(もっといえば今主流となっている西洋人の「美」の価値観)というもののあてにならなさを、思い知らされます。
他にも例えば今や近代美術を代表する「印象派」が発表当時はまったく評価されずに激しい批判にさらされていたのは有名な話ですが、逆に印象派が美術史のメインとなってしまった現代では、その反動として、印象派を攻撃していた当時一流とされていたサロン画家達の作品が今では印象派の敵役として美術書には小さい扱いでしかとりあげられなくなっているのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチにしても、今のようにルネッサンスを代表する巨匠としての評価が確立したのは20世紀に入ってからで、以前はラファエロに劣る画家としか見られていなかったそうです。
以前ここでも紹介した原田マハ「楽園のカンバス」にとりあげられていたアンリ・ルソーも、評価されたのは彼の死後で、存命中の彼の評価は散々だったみたいですし、このような例は枚挙に暇がありません。
ということは将来、またその評価が逆転する可能性もあり得ないわけではないわけです。
良きにつけ悪しきにつけ、そういう美術史的な文脈を知った上でないと理解できない部分が美術館賞にはつきまとうので、こういう本を読んでおくと、実際に絵を見る時により楽しめるようになりそうです。
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