韓遂(かんすい)、字は文約。
(? - 215年)
横山三国志では、鎧の胸のマークがチャームポイント
(? - 215年)
横山三国志では、鎧の胸のマークがチャームポイント
今日は、前回紹介した高島俊男「三国志 きらめく群像」の第六章「西方の暴れ者」の内容をもうちょっと詳しく紹介しようと思うんだ。
三国志 きらめく群像 (ちくま文庫)
高島 俊男
ちょっと内容が細かくなっちゃうんで、今日は、三国志をあまり良く知らないアヒコちゃんではなくて、ガチョオ君に話を聞いてもらうことにしたよ。
先に言っておくと、三国志に興味がない人にはかなりどうでもいい話だからね。
今日のテーマは三国志に出てくる「韓遂」という人のお話だよ。
ガチョオ君はもちろん知っているよね?」
しかしまた、えらい微妙なところをついてきたな。
馬超じゃなくて韓遂かいな。
ゲームやと、アホぞろいの馬騰の部下の中で、ちょっとだけ知力がましで、そこそこ使えた武将やろ、たしか。
漫画や小説やと、馬超と組んで曹操に反乱を起こしたんやけど、賈詡の離間の計で、馬超に曹操との内通を疑われて、結局曹操に降伏したんやったっけな」
さすがガチョオ君だ。
でも、実はこの韓遂、単なる馬騰や馬超の引き立て役ではなくて、史実ではかなりのやり手で、彼を主人公にした物語も書けそうなぐらい、魅力的な人物なんだよ。だからちょっとこの時代の西涼をクローズアップしてみようと思うんだ。
まずは舞台となる西涼、涼州の位置を後漢末の地図で確認しておこう。
涼州は、中国の西北、今で言うと、甘粛省と寧夏回族自治区の辺りになるよ」
ゲームとかやと、土地が痩せてて、たいした人材も在野におれへんから、わざわざ攻めとる旨みがなくて、馬騰でプレイせん限りは、占領は後回しにしてたな」
でも、今回、まず「韓遂は馬騰の部下」っていう概念をいったん頭から追い払ってね。彼は史実では、馬騰とは同格の群雄の一人、というよりむしろ、歴史的には彼のほうが重要なぐらいだから。
彼が歴史に初登場するのは184年。黄巾の乱の始まったころだね。
この年に涼州で羌族(チベット系の異民族)が、義従胡(漢に忠誠を誓う異民族)の酋長である北宮伯玉(ほくきゅうはくぎょく)と、李文侯(りぶんこう)をかついで叛乱を起こしたんだ。
そして、北宮伯玉(ほくきゅうはくぎょく)は、さらに自分の上に金城郡の名士の辺章(へんしょう)と韓遂をかついで、彼らに軍政を一任して、涼州全土で暴れたんだ。
ちなみに金城郡の位置だけれど、涼州の地図で確認してみよう。
涼州全体で10の郡があるんだけれど、そのうち金城、漢陽、隴西の3郡が町も人も多くて、しばしば騒乱の舞台になるんだ。
この涼州は異民族の多い地域で、一番多いのがさっき出てきた羌族(きょうぞく)、次に多いのが氐族(ていぞく)といって、どちらもチベット系らしいんだ」
漫画とかやと、馬超の登場あたりで急に出てきたから、そんなころから史書に出てきたなんて知らんかったわ。しかも異民族にかつがれててんな」
アヒオ「叛乱を起こして数年、韓遂は辺章(へんしょう)をトップにして、北宮伯玉(ほくきゅうはくぎょく)らといっしょに三輔(長安周辺)に侵入したりして、官軍の皇甫嵩や董卓、張温らを悩ませたんだけど、彼らは美陽と楡中の戦いで官軍を破った後、186年末ごろ、仲間割れをして、韓遂はリーダーの辺章、自分をかついだ北宮伯玉、李文侯らを殺してしまったんだ」
アヒオ「そして、韓遂は仲間を殺して自分がトップになるのかと思いきや、今度は涼州の別の有力者である王国(おうこく)や馬騰と組んで、今度は王国をトップにかついで、涼州刺史の耿鄙(こうひ)と漢陽太守の傅燮 ( ふしょう )を殺して、また三輔(長安周辺)に侵入するんだ。
その後、叛乱軍が、三輔に入って最初の城である陳倉の攻略に失敗すると、韓遂は、責任者として今度は王国(おうこく)を189年に殺してしまうんだ。
で、今度は閻忠(えんちゅう)を祭り上げようとするんだけれど、彼は脅されて総帥になったのを恥じて、病気になって死んでしまったんだ」
誰かを祭り上げておいて、なにかあったら殺してばっかりやないか。ようこんなんで人がついてくるなあ」
ひょっとしたら、西方の異民族の習慣や常套手段だったのかもしれないね。
そんなわけでせっかくかついだ次のリーダー、閻忠(えんちゅう)があっさり死んでしまったんで、叛乱軍は分散してしまい、今後、韓遂は馬騰と組むことになるんだ。
それじゃあ、今日はこのぐらいにしておこうか。続きはまた次回」
次回の韓遂に乞うご期待」
<関連過去記事>
<キャスト>
白鳥(しらとり)先生・・・スワン系アラサー女子。カモ文化学園の教師。独身。学園のマドンナ的存在で、密かに思いを寄せる男子生徒多数。好きな話題はシモネタ。好きな牛丼系チェーン店は松屋。
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