内田樹「増補版 街場の中国論」の紹介です。
紹介ですので、一部引用と要約、自分の感想とが混ざっていますのでご注意を。
本書は増補版での追加分「Ⅰ 街場の中国論」(全三章)から始まります。
Ⅰ 街場の中国論
第一章 尖閣列島問題・反日デモ・中華思想
この章はちょうど尖閣列島問題とそれに伴う反日デモがおきたころに書かれたもので、中国と日本との根本的な立場や考え方の違いについてです。
1,中国の為政者は外交上の失敗によって「トップの交代」にとどまらず、場合によると「政体の交代」の可能性に配慮しなければならない。日本政府はそのようなリスクを勘定に入れる必要がない。
日本人にもある種理解不能ですが、鳩山さんも菅さんも、民主党も今でも元気です。この「負けしろの多さ」こそ日本の国力なのだという主張です。
2,中国では「反政府」デモは制度的に禁圧されている。だから「反日」の看板を掲げて鬱積した「反政府」の怒りを暴発させている、という行動を国民がとっている側面がある。
これは加藤徹「貝と羊の中国人」でも指摘されていたことですね。「反日」が錦の御旗であり、隠れ蓑にもなっているのかもしれません。
3,中華思想は華夷秩序によって整序された宇宙観。華夷秩序には「国境線」という概念がない。周縁には王土なのか化外の地なのかよくわからない「グレーゾーン」が拡がっている。
近代における日中の確執は「主権の及ぶ範囲の確定を曖昧なままにしておきたい中国」と「主権の及ぶ範囲の確定を求める日本」の対立のうちに推移した。
中華思想については端的に「オレ様が一番」的な側面だけで語られることが多いので、領土の考え方など、もう少しつっこんだ理解が必要だと思いました。全ての土地に国境線が明確に決まっていて当たり前、なんていうのも西洋でできた歴史的にはわりと新しい概念であるのも忘れてはいけないと思いました。今、中国がアフリカや近隣アジア諸国に投資をしているのも、古来の冊封体制の流れをくんでいる、という見方もできなくはないですし。
第二章 中国が失いつつあるもの
ここでは中国政府の選択によって、失いつつある、あるいは失うであろうものについて、イベントや事件を通じて書かれています。
1,チベット問題によって中国は国際社会での威信を失いつつある。
2,北京オリンピックによって「貧しさとつきあう知恵」が失われ「富の収奪と偏在を正当化するイデオロギー」が瀰漫する。
3,グーグルの撤退によって情報テクノロジーの「進化」から切断される。
個人的には「「貧しさとつきあう知恵」が失われ」という部分が、もしこれが事実だとしたらとても悲しいなと思いました。10年ほど前に中国に住み、いろいろな地域を見て回り、「中国って貧富の差は激しいかもしれないけれど、貧しいはずの人達がなぜか明るくて、楽しく生きている国だな」という印象を持っていたので。
第三章 内向き日本で何か問題でも?
この章は「日本辺境論」にもつながる日本人の考え方の「癖」を「辺境マインド」とし、それに無自覚なまま失敗を繰り返す日本の選択のあり方と、安易な「外向き」指向の礼賛に警鐘を鳴らしています。
1,国の規模という量的ファクターを勘定に入れ忘れて国家を論じることの不適切さ。
中国の人口を考えれば「日本と同じように統治されていない」ことをあげつらうのはあまり意味がないことである。中国の統治制度を非とするなら、それに代わるどのような統治制度がありうるのか、せめてその代案について数分間考える程度の努力をしてからでも遅くはないのではないか。
あるいは例えばフィンランド。好調の重要な要素は「人口が少ない」ということであることを見落とすわけにはゆかない。
中国の情報統制や人権軽視、人口調整や戸籍の問題など、私も正直、今の中国に住みたいとはとても思えないのですが、それではこれらを全て撤廃して日本と同じレベルの自由さを実現した場合、果たして中国がうまく統治されうるのだろうか、本当に中国の人民の幸せにつながるのだろうか、という想像をしてみるに、現状よりひどい混乱がおこって、中国国内のみならず、周辺諸国も今以上に困ったことになっても不思議ではないと思います。一概に中国共産党の政策を「圧政」と断ずるだけではあまりにもそれは思考停止ではないでしょうか(それと中国共産党を是とするかはまた別の問題)。
2,「日本と比較してもしょうがない他国の成功事例」を「世界標準」として仰ぎ見、それにキャッチアップすることを絶えず「使命」として感じてしまうという「辺境人マインド」こそが徹底的に「日本的」なものであり、そのことへの無自覚こそがしばしば「日本の失敗」の原因となっているという事実を彼ら(外国の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因があるという人達)が組織的に見落としている点である。
この章に関しては私はつねづね内田樹の「内向き」指向に少し疑問というか違和感を感じているので全面同意というわけにはいきませんでしたが、それでもなんでもかんでもよそと比べないと自分の価値を判断できない日本の問題点に関してはそのとおりだと思いました。
というわけで、増補分はここまで。次からようやく最初の版の「街場の中国論」がはじまります。
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